2013年8月18日 エペソ人への手紙 -神の偉大な力 -

また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
エペソ1:19
 

講解説教No.9
エペソ1章19節 

 パウロが祈っている三つ目は、神の力を知ることができるように。「全能、力、すぐれた、偉大、働き」と色々な言葉を使っているのは、自分自身が神の力を十分確信しているから、また兄姉にぜひとも知ってほしい切に願っているためでしょう。この神の力は、信じている者に今、実際に働いている力のことです。重要なことは信じる者に働く力であるということです。

 神の力には創造の力、摂理の力のように相手が信じるか信じないかに関わらず働く力もあります。ここで言っているものは、相手が信じて受け止めるかどうかが関係してくる、そういう力です。イエスは、不信仰な親族の間で「何一つ力あるわざを行うことができず…」(マルコ6:5)、また病人を癒されるとき、「イエスは彼らの信仰を見て」(マルコ2:5)癒しの力を発揮されました。神の力の目的は力そのものにはなく、その力を通して、神の栄光があらわされることです。神を信じない者に力を働かせても、その人はもらうものだけもらい神を捨てるでしょう。パウロの祈りは、神が信じる者に力を及ぼし、そのクリスチャンが心の目をもってはっきりと認めて神をほめたたえるようにということです。そこには信じる側と力を及ぼす側との間に、明らかに行き交う心があるのです。そのように、信じて神の力を体験したいのです。

 考えても、論じても意味がありません。「使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました」(Ⅰコリント15:9,10)とパウロの証言のように、救われたことそのものが神の力によることを心の目で見て取らなければなりません。また、今後自分の肉の弱さを、神の力によって着実に変えていただくことを体験したいのです。「神の国はことばにはなく、力にあるのです」(Ⅰコリント4:20)