2024年4月28日 説教テーマ「罪人を招くために」

イエスは道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所に座っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。 マルコ2章14節 マルコ福音書2章13-17節 №12 イエスはこれまでに、神としての権威と力(1:21-22)、救いに対して先行する深いあわれみ(1:41)、罪を赦す権威(2:10)を示されました。次はレビという取税人を通して「神の選び」を示されています。この職に就く者はユダヤにおいて反社会的存在として、社会から隔絶されていました。ローマの支配下にあるユダヤには反ローマ感情が芽生えています。当時ガリラヤにおける税金はガリラヤの領主ヘロデ(ローマ人)に集められました。反ローマ感情を抑えるためにもローマ政府はユダヤ人に税金の取り立てをさせました。ユダヤ人取税人が多額の収入を得られるように配慮したことで、ローマに魂を売る者が起こされたのです。それがレビです。彼はイエスを信じて弟子となりますが、彼自身イエスを求めていたわけではありません。むしろ、イエスのほうが彼に目を留めています。しかもイエスは単に彼を見たのではなく、ご自身の救いのご計画の視点から、頭や心も使って見たのです。それはイエスが彼を選んだということになります。レビは救われたのですが、なぜ彼はそのようにできたのか、どういう事情で信じるに至ったのか、聖書はその説明をしていません。というよりも、聖書は救いにおける人間の側の事情や条件などに関心がないのです。確かに、人間側の事情や条件が整ったらクリスチャン(弟子)になれると聖書は一つも教えていません。人間の立場は「失われている者、死んでい者」です。そのような者がどうしてイエスを信じて弟子になることができるのでしょう?神がその人をお選びにならなかったら、何も始まらないのです。レビは神の御子が自分を選んでくださったことを素直に受け入れたから、「ついて来なさい」の一言で従うことができたのです。また、その喜びを爆発させ、自宅でパーティーを開き、同じ仲間たちに分ち合いました。律法的にユダヤ人は取税人とかかわってはいけないので、「なぜ…一緒に食事をするのか」と律法学者たちが尋ねました。この発想は、彼らのうちに「こうしないと救われない」という救いの条件があるということです。救いの条件は神が出すべきものです。その神はただご自身がその人をお選びになるのです。神がその人を選ぶ理由は、人間の側にはありません。神があなたを愛されたから、あなたを選びます。神があなたを救うと約束したことを、ご自身が守るためにあなたを選ぶのです(申命記7:7,8)。