2024年5月5日 説教テーマ「御国の民のライフスタイル」

まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになります。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるものです。 マルコ2章22節 マルコ福音書2章18-22節 №13  ユダヤにおける断食は、悲しみを表し、或いは罪の悔い改めを表す神への行為です。信仰上重要な位置を占めている行為であるにもかかわらず、イエスの弟子たちが断食をしていませんでした。非難を込めた疑問がイエスに向けられました。それに対してイエスは、婚礼に招かれた客は断食をしない、それをするのにふさわしい時があるということを述べられました。旧約において神と民との関係は、花婿と花嫁との関係で描かれています。それを土台とした新約においてもキリストが花婿として、キリスト者(または教会)が花嫁とされています。花嫁である弟子たちは花婿イエスと共にいます。そのイエスが来られたことによって、神の国とその支配による救いの実現が近づいたことを喜び祝っている時に断食などしないのです。イエス・キリストを信じる信仰の基本的な性格は「喜びと祝いに生きる」ことです。もちろんクリスチャン生活には苦しみが伴います。しかし、花婿イエスは救いの完成のために再びおいでになります(再臨)。その時には私たちを苦しめている根源の罪と死を打ち滅ぼされます。これこそ望みですが、その「イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐」(Ⅰテサロニケ1:3)が価値ある喜びなのです。イエスと共にいる新しい民には新しいライフスタイルがあります。それは新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れるようなものです。新しいぶどう酒は発酵していくので膨張します。それに対応するのが十分伸縮する新しい皮袋です。キリストの救いに与った新しい民は、喜びと祝いに生きるという新しい生き方をします。もし古い生き方、すなわち敵意や争い、憤りやねたみを肯定するような生き方をしてしまうなら、皮袋は破れて不幸をもたらします。古い物を改善しても、古い物と新しい物を上手く混合しても間に合いません。新しい神の民は全く新しい教え、生き方を必要とするのです。それがこれまで教えられてきた、人の領域を超えたところの、神としての権威、罪を赦す権威にもつながります。新しい皮袋に入れた発酵するぶどう酒の圧力は、広がる喜びと力も象徴しています。大切なのは新しい皮袋、つまりイエスの教えです。古い教えは捨て去りましょう。