2024年7月21日 説教テーマ 修養会2「弟子として歩む初代教会」

彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。 使徒の働き2章42節  教会とは、神に呼び出された人たちの集まりのことです。精霊の働きによって救われた人たちが(Ⅰコリント 12:3)キリストに結びつけられて教会が初めて誕生しました教会とは、神に呼び出された人たちの集まりのことです。精霊の働きによって救われた人(Ⅰコリント12:13)。キリストに結びつけられた人たちは弟子として継続的な歩みをします。一定期間弟子なのではなく、自分の都合を済ませてから弟子になるのでもありません。「いつも」弟子として歩みます。教会に居続けたいのです。著者ルカは42節で、温かい教会の雰囲気を伝えています。それは人間が作り出したものではありません。神によって呼び出され、聖霊の働きによってキリストに結びついている、神が作り出した雰囲気がそこにあるのです。弟子としての歩みの第二は「熱心」です。42節の「いつも」は、「熱心」とも訳します。その熱心は人間的なエネルギーによる熱心ではありません。原語からも明らかな、聖霊に促された熱心です。その熱心は第一に、「使徒たちの教えを守る」ところに表れます。イエスが公生涯で使徒たちに教えた内容のことです(新約聖書に記録されているもの)。教会を成り立たせてくれる最重要なものです。イエスの教えから外れてしまうと、人間的な熱心で教会を回していかなければならなくなります。使徒 6 章で初代教会もそこに陥りました。彼らが悔い改めて最優先にしたものはイエスの教えでした。サタンはイエスの教えに立ち返らせないように巧妙に働きかけます。神の創造のわざ、イエスが神の御子であること、十字架と復活…その教えを取り違えることはないでしょう。しかし「教会」について惑わしてきます。目まぐるしく変わる社会情勢に対して、その状況に合わせるようにサタンは誘います。「私たちは教会をどうしたいのか?」と考えさせます。否、イエスが教会に何を望んでおられるのかをまず知らなければなりません。聖霊に促された熱心は「交わりを持つこと」にも表されます。それはこの世から呼び出されて神の家族となった者としての交わりです。互いが互いに向い合うコミュニティとしての交わりではありません。そこでは人や物事が讃えられます。聖書の教える交わりは、ひとりひとりがキリストと向かい合うコイノニアとしての交わりです。キリストだけが讃えられます。