2024年7月7日 説教テーマ「聞く耳のある者は」

そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい」 マルコの福音書4章9節 「たとえて言うならば…」と誰かに何かの説明をする場合、その何かを分かりやすく伝えたいので、そのように話します。イエスのたとえ話も、確かにだれもがわかることを例にして話しています。しかし、イエスのたとえ話の目的はわかりやすく伝えることではありません。弟子たちに知ることが許されている神の国の奥義が、弟子以外の外の人たちには許されていないから、たとえで話されているとイエスは言われます(11)。ここでイエスが教えようとされていることは、神の国についてです。勿論これまで教えてこられたことも神の国についてです。弟子たちよりも神の国についての教えに対する受け入れと理解が十分ではない外の人たちに、イエスは答えを提供しようとしません。むしろその大切な事柄を考えさせようとしています。たとえ話の一番目の教えが「種まきのたとえ」です。種をばら蒔くという独特な農作業法で、第一の種は「道端」に落ちました。土に入ることなく、芽が出る前に鳥が食べてなくなりました。第二の種は土の薄い岩地に落ちました。すぐ芽を出しても根が張らないために枯れました。第三の種は茨の中へ落ちました。根を張り育ったのは良かったのですが、茨に覆われているために実を結ぶことが出来ませんでした。肥沃の地に落ちた最後の種は、大いに実を結びました。神の国とは、イエスが神の御子である事実、その方が到来されたと共に神の国が実現していく出来事のことです。たとえられる前に、既にその多くのことが教えられてきたにもかかわらず、人々は自分で造り上げたメシア概念に固執しました。自分の考えの上に立ったイエスの教えなのです。たとえを話すことで、神の国を考えさせ、またそれを悟っていないことを自覚させようとしているのです。種蒔く人はみことばを蒔きます。イエスが神の国についての教えを蒔くのです。そのみことばが根付かないうちにサタンが取り去るのが第一に蒔かれたものです。その人にみことばが無い状態です。第二に蒔かれたものは、つかの間の受け入れです。困難、迫害でみことばを受け入れるのを止めます。第三はみことばが根付いたのに、誘惑で実を結ばずです。最後に蒔かれたものは、 みことばを受け入れ続けます。