2024年8月25日 説教テーマ「ただ信じていなさい」

イエスはその話をそばで聞き、会堂司に言われた。 「恐れないで、ただ信じていなさい。」 マルコの福音書5章36節  ユダヤの重要なコミュニティの場である会堂、その管理を仕事としているヤイロという人が、今回の出来事の中心です。ヤイロの娘が死にかけているという人生最大の危機が襲いました。会堂司は地域社会の信頼を得た名誉ある仕事であり、地位のある人ですが、大勢の人がいるにもかかわらず、ヤイロはイエスにひれ伏して救いを求めました。彼はこれまでにイエスの教え、奇蹟のみわざを見てきたでしょう。しかし救いを懇願することはありませんでした。それは彼の立場からイエスを見ていたからです。その立場から教えを評価し、判定していたということです。自分がこれまで得た知識や経験に基づいた世界観から、聖書の教えが納得できるかどうかという発想です。しかし、彼の知識も力も及ぶことがない死の力が襲ったとき、救いを求めていたのです。すぐさまイエスは応じて、彼の娘の家へと向かいます。ところが 途中、独りの女性がイエスに救いを求めて来るという、急ぐヤイロにとって想定外のことが起こりました。そして娘が亡くなったという最悪の知らせをそこで聞くことになるのです。イエスもその話をそばで聞きました。「そばで聞いて」という言葉の原語は「無視して」と訳すこともできます。つまり、イエスは娘が死んだという話を無視したということになります。聖書はこの世界におけるあらゆる支配と力に対して、「死」を「最後の敵」と見なしています(Iコリント15:26)。事実、だれもこれに勝つ者はありません。その死にイエスが勝利されるから無視をしたのです。死に対して「恐れないで」と言い、また「眠っているのです」とこの方は言われます。 医学的にも生物学的にも死んだ者をよみがえらせるゆえの表現です。それを実行に移され、死者に対して「タリタ、クム」とお命じになり、その通りに娘は起き上がりました。この出来事は、イエスの十字架の死と復活によって実現した救いを指し示しています。 私たちの罪のために死なれたことにより、人を脅かす死をご自分の身に引き受けられました。そして三日の後に死人の中からよみがえられました。私たちもいつか死にます。しかしこの方を信じるならば、死には何の力もありません。そのようなイエスの救いの恵みを先取りして示しているのが、この出来事です。