2013年2月3日 宣教大会-自分自身をまず主にささげる-

そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにも委ねてくれました。

Ⅱコリント8:5

 「わたしの父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」(ヨハネ15:26)宣教の実りと進展のために、『宣教はいばらの道であって安易な道ではない』という聖書の正しい理解を持ちましょう。そうすることで聖霊の確かな助けを得ることができるからです。

 イエスの十字架の死と復活、私たちはイエスのこの福音によって世から、救われました。クリスチャンはこの福音に生き、また語ると世の反対(迫害)にあいます。これはクリスチャンが世から選び出された御国の民なので必ず生じる反応です(ヨハネ15:19)。この民の性質を知らないために、世の反対を恐れ、また同調して、「社会のために」と言って教会が世俗化していくのです。エルサレム教会が迫害を受け、福音を語った指導者が捕らえられたとき、聖霊の助けがありました。「そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った…」(使徒4:8)聖霊はペテロにイエスそのものを益々語らせるように助け、その結果、福音を語るペテロがイエスとともにいた者だということが反対者たちに分かって来ました(使徒4:13)。宣教の目的はイエスを証言することです(使徒4:20)。それをさせてくださるのが助け主である聖霊です。ペテロたちを逮捕するほどの反対者たちの勢いまでも聖霊によって抑えられてしまい、なおも彼らは「神のことばを大胆に語りだした」(使徒4:31)のでした。

 世の反対があることが進展する宣教の前提です。反対が起きないように宣教するという教えは聖書にありません。イエスの約束の聖霊がエルサレム教会で成就しているように、ここでも即座に働かれます。約束の通りにすれば。