2023年6月4日 説教テーマ 「新しい自己評価に生きる」

私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。 ローマ12:3 福音に基づく信仰生活の具体的実践の最初の教えは「思うべき限度を超えて思い上がってはいけません」です。共同訳は「実際の価値以上に自分を過大に評価してはなりません」となっています。自分をどう評価しているでしょう。「それなりに」「そこまで評価できない」 …実際の自己評価は移り変わるかもしれません。人に褒められれば自分への評価が高まり、問題を指摘されれば逆に下がります。人の評価を気にしつつ、自分も他人のことを評価し、こうした作業を延々と行っているとなると、私たちの人生と生活の仕方を決定づけるような重大な問題なのです。聖書はこの問題に対して、神が与えて下さった「信仰の量りに応じて」自分を評価しなさいと教えます。信仰の量りは、量的なもの、信仰があるかないかとうことではありません。信仰の内容です。功績のない者、受ける資格のない者に与えられる神の恵みが信仰の内容です。パウロ自身も、「私も、自分に与えられた恵みによって、あなたがたに言います」と、神の恵みを根拠に、語気を強めて教えています。私たちは信仰が薄いか、立派かということで自分を評価しませんし、相手も評価しません。受けるに値しない者に賜る神の恵みによって自分を評価し、或いは相手を評価します。Ⅱ コリント 10 章12節でパウロは、「私こそ使徒」と自称している人たちと自分を同列に置いたり、比べたりしないと述べています。自称使徒たちは常にパウロを批判します。そうすることでパウロの評判を下げ、自分たちのほうが評価が高いと見せたいからです。「彼らは自分たちの間で自分自身を量ったり、互いを比較し合ったりしていますが、愚かなことです」とあるとおりです。自分を過大に評価することはエネルギーのいることです。疲れます。生活を左右させられます。しかし、福音のうちにある神の恵みは、だれかに優越感を抱かせるようなものでもないし、劣等感に沈んでしまうようなものも何一つないものです。神の恵みによって自分を評価すると、むしろ罪の尽きない自分の姿が見えてきます。自他ともに評価することなど到底できない自分の姿が示されます。しかし同時に、その私こそ神が愛してあわれんでくださったことがわかります。

2023年6月4日 週報より報告

【教会車について】 ☆教会車買換えについて、特別献金を募ること、また、車の選定、購入のタイミングを管理委員会に一任することが書面評決にて承認されました。 ☆「教会車特別献金」の封筒を用意しました。本日から6月25日(日)まで募ります。 【本日の予定】 ☆10時からキッズ&ジュニアクラスを礼拝堂で、行います。 ☆11時から礼拝を行います。 ☆14時30分から午後礼拝を行います。 【今後の予定】 ☆6月10日(土)10時から教会内外の作業奉仕を行います。草刈り(除草)、植木刈込、花植え、スロープのペンキ塗り、電光掲示板柱のペンキ塗り、掲示板の補修、電気配線のカバー取付(室内)エアコン、ロスナイ換気扇のフィルター掃除など、人手が必要です。ご協力お願いします。 ☆6月11日(日)午後礼拝はありません。 ☆7月2日(日)牧師は船橋聖書バプテスト教会の伝道集会で説教奉仕です。 ☆7月2日(日)礼拝および午後礼拝説教は小山淳也師が取り次ぎます。 【フェローシップ】 ☆6月2日(金)札幌教会の青木先生が召天されました。本日午後、同教会で召天記念式が行われます。主の慰めと復活後の再会の希望が与えられるようにお祈りください。

2023年5月28日 説教テーマ「この世と調子を合わせてはいけません」

この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。 ローマ12:2 ローマ人への手紙12章2節 クリスチャンが調子を合わせてはならない「世」とは、人間が神なしで幸せになるために築き上げたもののことを言います。そこにある社会、宗教、娯楽、思考様式、生活様式…それらが悪でなくても、神の栄光のためではないもの、己自身のためのものが「世」です。その世に対して、キリストにある私たちは世のものではありません。それは過ぎ去り、新しく造られた者として存在しています(Ⅱコリント5:17)。世と調子を合わせてはならないとは、原文からいうと、世と同じ鋳型にはめ込まれはならないということです「世を愛してはならない」と言い換えることもできます(Ⅰヨハネ2:15)。これは、世から離れて生きよということではありません。妥協せずに理想を追求することでもありません。この現実世界をどんな前提で生きるかということです。その前提とは、福音によってもたらされた救いに支えられて生きることほかなりません。建物の基礎が見えないように、救いにおける基礎も見えません。そこがいかに重要かということが、終末に生きる者にとってなおさら実感するでしょう。世と調子を合わせないで生活するためには、「心を新たにすることで、自分を変えていただく」ことが求められています。変えていただくということは、変えられなければならない、世の鋳型にはめ込まれつつある自分があるということです。「自らを変えることができない」自分を変えていただくことは信仰生活の基本です。可能な人だけ、特別な人だけということではありません。もし自ら変えようとするなら、神のみこころが何かを知ることはできません。変えられることがみこころだからです。その人は「神のみこころはこうだと思う」という自らの判断を越えられません。私たちは既に、自分を神のかたわらに置いて自由に使っていただく身です。そのように神を信頼し、神を尊重できるからこそ、神は変えてくださり、みこころをわかるように導いてくださるのです。自分を変えていただくことは「心を新 たにすること」で可能となります。それは自分の覚悟ではありません。心が変えられるように御霊の影響を受けるということです。今取り組んでいる課題や将来のことで、神のみこころを知ろうとしているなら、まず自分を神にささげましょう(傍らに置いて自由に使っていただく)。そして、変えていただくためにご聖霊の影響を受けることを許しましょう。そうすれば、神に喜ばれる、良いことが分かり、みこころを見分けることが出来ます。

2023年5月28日 週報より報告

【本日の予定】 ☆10時からキッズ&ジュニアクラスを礼拝堂で、行います。 ☆11時から礼拝を行います。 ☆13時から管理委員会を行います。 ☆午後礼拝はありません(管理委員会のため、今後第四日曜日の午後礼拝はお休みとなります) 【今後の予定】 ☆5月29日(月)牧師は国内宣教委員会会議に出席します(オンライン)。 ☆6月1日(木)10時30分からドルカス会を行います。 ☆6月10日(土)10時から教会屋内外の作業奉仕を行います。ご協力ください。 【フェローシップ】 ☆亀岡教会より西牟田恵里也師の伝道師辞任の報告が届いています。 ☆調布教会より、孫師が現地での働きを一区切りし、帰国するとの報告が届いています。 ☆滝山教会より、高木拓哉兄が伝道師として就任された報告が届いています。 ☆名古屋教会より、上田平安師が副牧師として就任された報告が届いています。各報告の詳細は教会員に配信された添付資料をご確認ください。

2023年5月21日 説教テーマ「あわれみに基づくふさわしい礼拝(2)」

ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。 ローマ12:1 神のあわれみに対して感謝の応答をするのがクリスチャン生活(実践)です。最初に勧められている実践が、あなたがたのからだを神に喜ばれる聖なるささげ物としてささげることです。「からだ」とは、からだも心も含めた人間全体のことで、そのからだをもって日々の具体的な生活を意識しています。つまり、日々の営み一つ一つにおいて自分を神に献げて生活することが勧められているのです。私たちの生活の土台である神のあわれみ自体が具体的です。御子イエスキリストが、肉体をもった人間としてこの世に来られ、私たちの罪のために十字架で死なれました。まさにからだを張って深くあわれんでくださったのです。その方に応答する私たちの生活も、からだをもって生活する日々の生活において自分を神にささげるのです。「献げる」とは、「傍らに置く」という元の意味があります。そのことから、神のかたわらに自分を置いて、神に自由に使っていただくことを献げると言います。ささげるからだは「生きたささげ物」でなければいけません。いけにえなのだから、自分の考えも生活も捨てる?!ということではありません。罪に死んでいた者が、キリストの死と復活によって、新しく生きる者となったのですから、キリストにある新しさであり、喜びに満ちた生き生きとした様のことを「生きた」と言っているのです。献身には喜びがつきものなのです。その生きたささげ物は「聖なる」ものでなければいけません。聖なるとは神のものとして区別されているという意味です。この世の用途に用いるものから神のために用いられるものへと区別されることを「聖なる」と言っているのです。神にささげるにあたって、汚れていてはいけないから、正しい生活をしようということではありません。そもそも汚れていた者をキリストにあって神が区 別してくださったのだから、感謝をもって用いていただこうとすれば良いのです。そうすれば神に喜ばれます。このからだをもって生活する日々において、神のあわれみによってこの世から取り分けられた私たちは、感謝の応答として自分をささげるのです。それをふさわしい礼拝と言っています。クリスチャンとしての生活は神を礼拝することと切り離すことは出来ないのです。

2023年5月21日 週報より報告

【教会会議】 ☆5月14日(日)教会会議が行われました。 ①第四日曜日午後に管理委員会を行うため、当該週の午後礼拝を休みにすること、 ➁本日より教会員以外の出席者のマスク着用を任意とし、教会員は推奨とすること、説教者はマスクを外すことが承認されました。 【来会】 ☆5月17日(水)祈り会に新来者の方が出席されました。ようこそおいでくださいました。 【本日の予定】 ☆10時からキッズ&ジュニアクラスを礼拝堂で、成人クラスを1階多目的室で行います。 ☆11時から礼拝を行います。 ☆礼拝後に青年会を行います(礼拝堂)。 ☆14時30分から午後礼拝を行います。 【今後の予定】 ☆5月28日(日)13時から管理委員会を行います。 【スロープ】 ☆玄関につながるスロープがすべりやすくなっています。スロープを通る場合はマットの上を歩いてください。 【千葉ニュータウン教会】 ☆千葉ニュータウン教会から教会閉会のお知らせが届いています。6月25日の礼拝をもって閉会されます。今後の教会員の信仰生活と、神田先生ご家族の今後の働きの導きのためにお祈りください。

2023年5月14日 説教テーマ「イエスはどういうお方か」

彼らは非常に恐れて、互いに言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか」 マルコ4:41 イエスは群衆に教えを語った後、弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言いました。弟子たちはイエスの言う通り舟で湖を渡ろうとしましたが、激しい突風に襲われて舟が沈みそうになってしまいました。その時、弟子たちはイエスに「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言いました。このような状況の中で眠っているイエスを見て、苛立ちを覚えたのでしょう。「こんな状況なのに、よく寝ていられますね。私たちのことなんて、どうだっていいということですか?」しかし、イエスが 起き上がってお命じになると、風はやみ、湖は穏やかになりました。そしてイエスは弟子たちに「まだ信仰がないのですか」と問いかけました。弟子たちは信仰を持っていました。イエスについて行こうとしていました。だからこそ「向こう岸へ渡ろう」というイエスのことばに従いました。ところが、突風で舟が沈みそうになった途端、その思いがどこかへ吹き飛んでしまい、恐れや不安に支配され「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言ってしまいました。しかしイエスは、突風と 湖を静めることを通して、ご自分のことばに力があることを示し、すぐに疑ってしまう弟子たちの信仰を問うたのです。この日、弟子たちはイエスのことばは必ずその通りになること、すなわちイエスの権威を体験的に学びました。私たちも今、聖書を通してそのことを学んでいます。「イエスはどのようなお方か」、今日のみことばからひとことで現わすなら「権威あるお方」です。ではその権威はどこから来るのでしょうか。なぜ風や湖が言うことを聞くのでしょうか。それらのことと合わせて 3つのポイントでまとめます。 ①神なるお方(創造主) 天地万物をお造りになった方だから、自然界もこの方の言うことを聞くのです。 ②神が人となって来られたお方 人として肉体を持って来られたから眠っていたのです。ですから私たち人間の弱さもよくご存知です。ちなみに今、イエスは復活されて父なる神のもとにおられるので、眠ることはありません。 ③私たちとともにおられ、助けて下さるお方 イエスは、弟子たちの信仰のなさを問いつつも助けて下さいました。今はイエスが「もう一人の助け主」と呼ばれた聖霊なる神がクリスチャンとともにおられ、聖霊の働きを通して助けて下さいます。