ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。
マタイ28:6
マタイの福音書28:1-10
キリストが死者の中から復活したことは、あがないの死が有効であることを確証します。聖書は死を罪による神のさばき、罪の報いと教えます。キリストの死も同様です。ただしキリストは一度も罪を犯したことがありません。人間のすべての罪を身代わりに背負ったゆえにキリストに罪が認められるのです。神はキリストを十字架上で罰し死に至らせました。キリストが身代わりになるほど人には救われる価値がありません。なぜなら、創造主であり、救い主であるキリストを拒んだからです。人が死に至るほどさばかれなければならない最大の理由は神への不信仰です。人を救う義務など一つもない神が救おうとされたのは、ただ愛しておられるからです。
死と黄泉と敗北が十字架です。しかしキリストは三日目に死者の中からよみがえられました。これによって初めて、キリストの贖いの死が有効になります。つまり、私たちの救いが完全に成立するのです。第二に復活はキリストが神であることを確証します。誰も開けることを許されていないローマの封印がされた墓石が開けられ、そこに御使いが座っていました。御使いの輝きが特別なものとして描かれているのも、開いた墓に座る様も神的な権威が示されています。御使いにその権威があるのではなく、キリストの復活のメッセージを語っているために生じています。よみがえったイエスを女たちは礼拝しました。よみがえったキリストがまことの神であるためです。キリストは神です。またキリストの救い(あがない)は完全なものです。それらを復活が確証づけているのです。「復活がなかったら信じやすい」という問題ではありません。復活がなかったら、その人は何を信じているのでしょう?何も信じていません。聖書が語る福音のままを信じてください。