2013年4月28日 使徒の働き ー神の支配と自由ー 

ここで、私たちは兄弟たちに会い、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマに到着した。

使徒28:14

講解説教No.83
使徒の働き28:1-15

 神に支配されている人は自由であるということを学びます。

 イエス・キリストを宣べ伝える働きは、聖霊がその人の上に臨んだとき受ける力によって可能になります(使徒1:8)。聖霊が私たちに臨むことを神の支配と言います。第一にこの支配を受ける者には希望があります。死が迫るローマへの旅の中で「あなたがたの頭から髪一筋も失われることはない」(27:35)と人間的な知恵と力によってでは断言できません。神の支配の中にいるパウロには言えたのです。それは失望に終わらない希望だからです(ローマ5:5)。困難のときこそ、この希望のうちにある自由を見ることができるのです。

 第二に神に支配された者の心には確かな平安があります。「最後の望みも今や絶たれようとしていた」(27:20)そのときに、「皆さん、元気を出しなさい」ということが出来る平安な心は、恐れから支配されない真の自由です(ヨハネ14:27)。

 第三に神の支配の中にある人には、目的の場所に進むために必要なものが必ず備えられます。海上で船も含めてすべてを失ったパウロたちでしたが、打ち上げられた島から旅立つときには276名に必要な品々がすべて用意されていました(28:10)。その島の人たちが親切だったこと、まむし!?のできごと、島の人たちに福音とともに具合の悪い人たちの治療を施したこと…これらすべてに神の支配と働きがあることを見るのです。パウロのことを「人殺し」から「神さま」にまで評価が一転してしまう島の人たちに見られるように、状況に振り回される生き方には自由は見られません。神に従い、その支配を受けることに不自由さを感じる人は、本当の自由を失う前に聖書の原則に戻りましょう。「…あなたがたは真理(神)を知り、真理(神)はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)