すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
エペソ1:4
講解説教No.2
エペソ1章4節
神が永遠において私たちを選ばれたのは、「御前で聖く、傷のない者」にするためです。これは確実に達成できる選びの目標です。私たちがすでにきよいから選ばれたのではありません。選びの理由は私たち人間の中になく、神の中にだけあることを忘れないでください!このきよさは心の内側からきよくなるもので、イエスが挙げられた罪のリスト(マルコ7:21,22)がまさに人間の心の内側にあるのですが、これがきよめられてなくなる状態を言います。人の心の汚れは深く、その人が善い行いをしていたとしても、悪い動機からすることもできるわけです。そういう陰険な利己心がきよめられるのです。これは人が見てきよいと認めるものではありません。「御前に聖く」、つまり神の前で神が認めるきよさです。キリストのきよさがその水準です(Ⅰヨハネ3:3)。
自分には無理と思わないでください。神はそうなれ!と命じておられません。確実にそうなるように!と選ばれているのであって、選んでくださったとともに保証してくださっているのです。イエスキリストを信じて救われた人の生きる中心は、自分の欲、悪い考えではなく、キリストでありキリストに従うことになりました。神に選ばれているからです。信仰生活で喜ぶことができない状況もあります。人をねたんだり、信頼することが出来なかったり…そうであればなおさらのこと、神の救いの方法を認め、神に頼るべきです。とてもきよくなれないと思うなら、もう一度、神が聖書で語られている選びの理解に立っているかを確認すべきです。神の水準と自分の水準とが戦うかもしれませんが、神がくださった霊的祝福を信じてください。神はあなたを永遠において選んでくださっています。あなたが確実にきよくされるために選んでくださっています。