2013年6月2日 神が幸せを与えて下さる方法 -大木師-

まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。             
詩篇1:2,3

詩篇1編

【C・H・スポルジョン著 「朝ごとに夕ごとに」から引用】

 「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい(豊かになりなさい)。」(Ⅱペテロ3:18)一つの恵みならず、すべての恵みにおいて豊かになれ。根本の恵みである信仰において豊かになれ。これまでよりもさらにはっきりと約束を信ぜよ。信仰を十分に、永続的に、単純に進めよ。また愛において豊かになれ。あなたの愛が拡大され、さらに強くなり、さらに実践的となり、あらゆる思いと言葉と行いに影響を及ぼすことを願え。謙遜においても豊かになれ。へりくだりを求め、自分の無価値を知れ。謙遜によりさらに神に近づき、イエスとのさらに深き交わりに入れ。

 願わくは聖霊なる神があなたを「イエスキリストの知識において成長(豊かに)」させてくださるように。イエスの知識において進歩しない者は、祝福を拒む者である。イエスを知ることは「永遠のいのち」であり、イエスの知識において進むのは、幸福を加える道である。キリストをさらに知ろうと切に願わない者は、キリストについて何も知らない。キリストを味わった者はさらに渇きを覚える。なぜならキリストは満足を与えられるが、その満足は食欲を飽満させるものではなく、かえって食欲を刺激し、益々渇きをおぼえさせるからである。もしあなたがイエスの愛を知るなら、鹿が谷川を慕いあえぐように、イエスのさらに深い愛に飽くことを渇望するだろう。もしあなたがイエスをさらに深く知ることを欲しないなら、あなたはイエスを愛しているとは言えない。なぜなら愛は常に「さらに近く」と叫ぶからである。キリストのおられないところは地獄である。しかしキリストのおられるところは天国である。それゆえ、イエスとの深い交わりを求めないで満足してはならない。キリストの神性、人間性、完成されたみわざ、死、復活、現在の栄光あるとりなし、将来の堂々たる再臨などにつき、さらに知ることを求めよ。