2013年7月7日 エペソ人への手紙 -罪の赦し-

この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。                   

エペソ1:5

講解説教No.4
エペソ1章7節

 「その血による贖い、罪の赦し」の霊的祝福は、私たちが今喜び楽しんでいる祝福です。贖いという言葉は、もともとは奴隷や捕虜を賠償金や身代金を払って釈放することを表す言葉で、はじめから聖書で使われていたわけではありません。贖う、釈放する…このことは私たちがイエスキリストに出会うまでは、奴隷であり捕虜であって、自分自身の自由にならない身であること、つまり罪の奴隷であることを強く印象付けるために一般で使われていたこの言葉を引用したのです。

 救われた今も罪を犯さないではいられない存在が私たちです。「罪の律法のとりこ」(ローマ7:23)となっていて、神に喜ばれることを願うも圧倒的に罪が強いので、自分がしたくない悪を行なってしまうのです。まさに「死のからだ」であり、死から逃れる道がないからだなのです。だから贖われる必要があるのです。「その血」とあるようにキリストの血、キリストのいのち(人格ある者の犠牲)が贖い代です。これがサタンに支払われたのではなく父なる神に支払われました。罪に対する神の怒りはキリストに向けられました(十字架)。キリストのいのちを身代金として神に支払うことによって、私たちを解放してくださった贖いは、罪の赦しという最も直接的な霊的祝福をもたらしました。私たちは自分で犯した罪を悟ることもできない、隠れている罪を持っています(詩篇19:12)。

 犯すつもりはないのに犯してしまう多くの過失を持っています。自分でもわからない罪をわかっておられるのは神だけです。だから、私たちがほんとうに“赦す”と言っていただけるのは、その神からだけなのです。自分の過ちを知っておられる大いなるお方に無礼を働きてきた!という罪意識を持たせていただき、赦しを求め、その神からはっきりと赦すと言っていただく人生を歩みましょう。