2013年11月10日 真実の愛 ‐聖書講演会‐

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
Ⅰヨハネ4:10


ローマ人への手紙5章5-9節

 夫婦の愛、親子の愛、友だち同士の友愛…人は様々な人間関係の中で愛し、愛されて生きています。しかし、愛は本来人の心の中にもこの世界にもありません。ですから、人の生き方というのは、どんなに偏屈でも根底では愛を求めて生きているのではないでしょうか?愛は人の中にはなく、「愛は神から出ている」と聖書は教えます。愛は、ただ神にのみ起源を持ちます。その人に愛があると神がわかります。今愛を持っている人がいるなら、その人はすでに「神から生まれ、神を知って」います。

 他方、愛のない人、愛を行なっていない人は神を知りません。神を知る基準は愛です。愛がなければ、神を知ることも、神を語ることも、愛を行なうこともできないのです。聖書は愛の起源が神にあるというだけではなく、「神は愛だからです」と言います。つまり神のなさることはすべて愛から出ているということです。人に愛がないというのは、人の言動には混ざり物が入っているからです。愛していると言いながら、自分のことばかりを考えていたり、愛が怒りや憎しみに変わったりと、純粋或いは真実ではないのです。

 しかし神は愛のみによって行動されます。ねたまず、怒らず、自分の利益などいっさい考えず、他の人に仕えます。不正を決して喜ばず、真実のみを喜ばれます。神はその愛を行動によって示してくださいました。それが十字架のイエスキリストです。人が愛を失い、愛に失敗したのは自ら犯した罪のためですが、そのような人間に愛といのちを得させるために十字架にかかられたのです。人が負うべき罪を、罪なきキリストが負われました。ここに愛があるのです。このキリストを信じることは、愛を信じることです。真実の愛は人を罪か離れさせ、愛に生きるようになります。信じた者がキリストの十字架の打ち傷によっていやされるからです。人を救い、人を癒すのはキリストのうちにある真実の愛のみです。