2014年2月2日 エペソ人への手紙 -キリストを学ぶ-

しかし、あなたがたはキリストを、このようには学びませんでした。ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。
エペソ4:20、21


 弟子はキリストに学んだ者らしく歩むことが求められています。ですから、まず学びます。キリストを学びます。それは真理を学ぶことと同じです。「真理はイエスにある」とあるからです。1世紀の弟子たちが宣教したとき、「ナザレのイエスこそ救い主だ」と語ったとおり、「イエスその方」を強調しました。これが外国へと宣教の声が届くと、外国人たちは「イエスその方」よりも「救い主とは?その存在意義?信じたらどうなって、信じなかったらどうなるか?…」といろいろ考えるのですが、イエスその方をしっかりキャッチしませんでした。ですからパウロは手紙の中で異邦人クリスチャンたちのイエスキリスト認識を度々修正する文面を送らなければならなかったわけです(例 コロサイ2:8,9)。真理、すなわちイエスを学ぶには知識だけでは不十分です。パウロが手紙で、キリストを学び、キリストに聞き、キリストにあって教えられと意図してくり返していることは、キリストを直接学ぶことであり、キリストの生の声を聞き、キリストのご人格そのものを学ぶことなのです。いわゆる『人生を変える出会い』の出会うものは物や事よりも人です。人の影響による変化は人格から変えさせられる大きなものです。イエスキリストによる影響はなおさらのことです。なぜならこの方は、恵みとまことに満ちておられ、否がなく、しかりしかないお方、きのうもきょうもいつまでも同じだからです。またこの方は敗北そのものであった死を滅ぼし、永遠のいのちをお持ちだからです。私たちがイエスキリストをしっかりキャッチしているかどうか、確認する必要が大いにあります。聖書は念入りに確認を迫ります。「キリストを、このように学びませんでした。ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです…」