2014年2月9日 宣教集会 -イエスの宣教 すべての町や村を巡って-

それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。
マタイ9:35


 「巡って」とあるように、イエスは宣教のために常に出て行きました。このみことばに沿ってイエスの活動なさっている情景を思い描くことは大切です。ただ宣教は命令だからというだけではなく、実践されているイエスのお姿から励ましを頂き、私たちも師に倣おうと思うからです。私たちも出て行きましょう。イエスは宣教の対象であるその人の必要全体に応えて行かれました。単に福音を伝えただけではなく、おしえ、またいやされました。ザアカイに福音を伝えたときには、彼の不正の問題にも介入し生活を変えるという必要に応えられました(ルカ19章)。根本的な救いとともに実際の生活にも救いが必要です。

 イエスはご自分の宣教を振り返り、あわれみの心が必要であることを示されました。イエスの目には群集が羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れているように写りました。その姿は単なる弱さだけではなく、自分勝手で、飽くことを知らない貪欲にあふれ、ひたすら自分の利得に向かって行くような、行くべき道を完全に失った状態です。単なる同情では受け止めることが出来ません。彼らに対して心底かわいそうに思い、その思いはご自分のいのちを捨てるほどでした。イエスに従う者にあわれみの心を注いでくださいます。もう一つのことは働き人が足りないということです。人々を神の国に招き入れる働き人が少ないから祈りなさいと。主がご覧になると収穫が多いのです。神の国に入るための準備ができている人が大ぜいいるというのです。あわれみの心を持つと収穫の多さに驚くのでしょう。他の人よりも自分に心が向かっている人には神の畑さえ目に留まらないのかもしれません。失われた人をイエスのもとに導く働き人が与えられるように、ただちに祈りましょう。