2014年11月23日 ルカの福音書 -試みによる準備-

そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない。』と書いてある。」
ルカ4:3,4


講解説教No.13
ルカ4章1-13節

 悪魔の試み(誘惑)は、イエスが罪を犯すことができない神の御子であられることを証明されるものです。ですから、証明のために神(御霊)自らがイエスを荒野に導き追いやられたのです(マルコ1:12)。悪魔との戦いはイエスの身にどうしても起こらなければならなかったことです。罪ゆえに悪魔のとりこになっている人々を解放するためです。悪魔の目的はただ一つ、人を神から引き離すことです。「神などいない、救いなどない」と思わせることです。父なる神にまったき服従を示されたイエスに対しても、悪魔は挑戦していきました。この地上でイエスが父なる神に従うこととは十字架の死です。それを阻止したいのが悪魔です。この挑戦によってイエスは二つの道の分岐点に立たれました。一つは、苦難の道を避けて、世的な手段によって、人間が考えるような救いの期待にうわべだけこたえていくこと。もう一つは、完全服従をされて、私たちの身代わりとしての死を遂げられることです。第一の試みは、「人間にとって霊的な救いの問題よりも、今困っている日常の問題のほうが先決だ」という含みです。「人はパンだけで生きるのではない」とのイエスの反論は、人は神の愛、すなわち神のことばによって真に生きる、というものでした。第二の試みは「世の権威にひざまずけ、そうしたら成功する!」との誘惑です。「主にだけ仕えよ」とのイエスの反論は、父なる神への服従あるのみで、十字架への道を決して逸れなかったということです。第三の試みは「聖書にこう書いてあるのだから、それに従って、ここから飛び降りなさい。聖書のとおり守られるから」というもの。聖書のことばこそ否定されなかったイエスですが、それを使った悪魔の動機を責められました。神を試すことは大きな罪です。聖書を引用されたイエスは悪魔に勝利されました。みことばを持っていればよいのではなく、服従と信頼ゆえにみことばをしっかり持っているということです。こうして試みによって神の御子としてのご自分を示されたイエスが、悪魔に支配されている私たちをお救いになることが出来るのです。私たちもこのイエスに頼ることによってのみ、悪魔の誘惑に勝利することが出来ます。