2014年11月9日 ルカの福音書 -悔い改めなさい-

群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」彼は答えて言った。「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」
ルカ3:10、11


講解説教No.11
ルカ3章1-20節

 「主の前ぶれをし」「主の通られる道をまっすぐに」するヨハネの働きは、人々がキリストを受け入れるための心の準備をさせるものです。その準備が罪を悔い改めさせることです。ヨハネの前にいる群衆は正しい指導者が不在の混乱した中で生活している人たちです。その歩む方向はイエスの反対を行きます。ヨハネは旧約最後の預言者です。それまでの400年間イスラエルに神のことばの指針を語る者はいませんでした。彼らのことを聖書は「暗黒と死の陰にすわる者たち」と呼んでいます。それは何かに苦しめられたからということではなく、正しく生活する基準が全くないことを言っています。それはたとい外的な苦しみがなかったとしても、どう生きていいかわからないのですから、人格ある人間を容易に壊してしまいます。「荒野」の状態は民の霊的状態であり、神のために何一つ実を結んでいないことを象徴しています。まず彼らが結ばなければならない実は、罪の悔い改めの実です。「まむしのすえたち」と厳しく罪を責めるのは、群衆が形だけのバプテスマを受けに来たからです。そんな彼らに示したことは、生活が変化するに至るまでの悔い改めです。「下着を二枚持っている物は、一つも持たない者に分けなさい…決められたもの以上には取り立てていけません…ゆすったり…責めたりしてはいけません。」悔い改めとは、心と行動の転換であって、悪かったと思うだけの心ではありません。ここに至らせるためにヨハネは妥協しませんでした。「罪人を招いて、悔い改めさせるために来た」イエスも柔和さのうちに必ず罪を指摘されました。ヨハネの授けたバプテスマは、悔い改めのしるしとなる外的なものであり、イエスの授けるバプテスマは霊的なものであり、罪のきよめと新しい性質を与えるものです。イエスを信じる者に与えられる聖霊としての賜物です。この賜物があるから罪がわかり、罪を悲しみ、罪から離れることができます。イエスの宣教の第一声も「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(マタイ4:17)でした。私たちに与えられている救いとは、そのような罪からの救いです。