2015年4月19日 ルカの福音書-十分訓練を受けた者は-

あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。
ルカ6:41


講解説教No.26
ルカ6章39-45節

 このたとえは、「イエスの弟子たちが他の人たちに教えていく」ことを前提とした教えです。他の人に教える前に、自分自身をしっかり吟味する必要があります。自分が知らないことを教えることは出来ないし、また自分が成長している段階までは他の人を導くことは出来ますが、それ以上は出来ません。だから、弟子は十分に訓練を受ける必要があります。その訓練は、自分の目の中の梁を取り除くという訓練です。目の中の梁を取り除くならば、適切に教えることができます。たとえのポイントは、気づかないはずもない大きな梁!です。とても大切なことに気づかないということです。6章におけるイエスの教えを整理してみると、「貧しい者は幸い(20)、敵を愛せよ(27)、さばくな(37)、赦せ(37)、与えよ(38)」要するに、イエスの愛をもって愛しなさいということであり、それを教えるわけです。これはイエスに愛された者だけが実行可能です。しかし、盲人に盲人の手引き…とあるように、教える側が、イエスに愛され、赦された罪人であるという立場を忘れてしまっているなら教えることはできないのです。これが目の中の梁の正体です。救いようのない罪人を、ただ主が愛されたので、聖なる民とされた驚くべき恵みの立場を忘れた状態で教えるなら、目には梁があるのです。梁を取り除くためには、本気でイエスの教えに従うことです。敵を愛しなさいという教えにまず自分が真摯に取り組み、自らの力では愛することが出来ない無力さと挫折を味わいます。その時にこそ、梁があるこんな罪人の私を主が愛してくださっていることを挫折以上に味わうのです。十字架の赦しこそ私のためと知るなら感謝が溢れるでしょう。そうしたら御霊が人知を超えた力で敵を愛するようにしてくださり、そうして、梁なしで教えることができるようにしてくださいます。