2015年5月10日 ルカの福音書 -死をも制する権威-

主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい。」と言われた。そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいた人たちが立ち止まったので、「青年よ。あなたに言う、起きなさい。」と言われた。
ルカ7:13,14

講解説教No.29
ルカ7章11-17節


 イエスのあわれみの行為の中に神のことばの権威を見ていきます。

 イエスはナインという町でひとり息子を亡くし葬儀の最中だったやもめをかわいそうに思われました。夫も亡くし(もしくは離婚)生きる支えを失ったのですから確かにかわいそうです。しかしイエスのあわれむ思いは、息子の死の背後にある見えない罪の支配を見たため抱かれた深い感情だったのです。「死のとげは罪であり…」(Ⅰコリント15:56)人に死をもたらすのはその人のうちにある罪です。イエスを信ぜず罪が赦されていないとすれば、その罪が死の恐怖をもたらすことになります。人の死は永遠の刑罰の始まりであって、単に寿命ではありません。身体の機能がすべて停止することが死なのではありません。神に背き、また神の要求する基準に達しないことが罪です。神は愛なるお方であって、その愛をもって神と人とを愛することを望んでおられます。しかし自分本位な人間はその基準に全く達しません。この罪が人に死のとげを受けさせるのです。ですから、イエスは息子を失ったやもめをかわいそうに思われたのです。「泣かなくてもよい…青年よ。あなたに言う。起きなさい」彼は起き上がっただけではなく、物を言い始めたのです。この出来事を信じがたい空想的な話と考える人もいるでしょう。ただそのように考えるのなら、その根拠が何かを答えられないといけません。聖書が、死人が生き返る出来事を語るのには、相応の根拠があるからです。科学的な見地に立つ医者ルカが迷わずこの出来事を記録しているのは根拠に基づくことだからです。その根拠は、イエスの死を制する権威にあります。イエスには死をも支配する権威があり、万物を創造する権威があり、また罪を赦す権威があります。イエスには病をいやす権威があり、自然を支配する権威があります。それらをおことばを発するだけで意のままにされる権威と力があるのです。それは人間には決して与えられていない神としての権威です。死者を生かす…イエスを神と認めて初めて成り立つ出来事です。イエスを信じて罪が赦されたことを知っていれば、私たちは安心して死と向かい合うことができます。その人にとって、死はもうとげではなく、終わりでもないからです。この出来事は私たちに現実となる復活の前味です。イエスが再び来られた時、必ず実現します。