2015年7月5日 ルカの福音書 -光を人々の前で輝かせよ-

あかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。燭台の上に置きます。はいって来る人々に、その光が見えるためです
ルカ8:16

講解説教No.35
ルカ8章16-18節

 上記のみことばから、「あかり(光)」は、すべての人を照らすまことの光、イエスキリストのことです。イエスは人間の罪の問題と、罪に伴う死の問題を完全に解決される方として、唯一の救いの光です。その光をクリスチャンたちにともしてくださいました。御国の民はキリストを受け入れたとき、キリストの光を内に入れられるのです。クリスチャン自ら光ることはありません。キリストの光を反映させているのです。クリスチャンは光を人々に示し、みことばを宣べ伝える器です。この教えの前に、イエスは「聞く耳のある者は聞きなさい」とみことばの聞き方をおしえられました。今回はそれに基づいて、聞くことのみにとどめてはいけないことを教えています。聞くだけであったら、それはあかりをベッドの下に置くのと同じです。みことばを聞いたならば、必ず、他の人にみことばを宣べ伝えるという行為を伴います。それはあかりを燭台の上或いは天上に当然設置するように、当然のこととして証をしみことばを宣べ伝えるのです。もし証をしないなら、「隠れているもので、あらわにならないものはない」とあるように、証ししない生活が明るみに出されるとイエスは言われます。ですから、イエスは「聞き方に注意しなさい」と命じられます。その聞き方とはただみことばを聞くだけで終わらず、証しするという行動が伴うようにするのです。その証しは、その人の言葉づかい、生活態度、クリスチャンとしての品性など、全生活を含めての証しです。イエスの要求は難しいと考えてはなりません。もし自ら光を放つとなれば大変ですが、イエスの光輝きをもらい受けて反映させるのですから簡単です。ただ注意すべきは、キリストが私たちの内から輝こうとしているのを妨げないことです。私たちの内に住んでおられるお方に自分を明け渡しましょう。