2016年1月17日 ルカの福音書 -求め続けよ-

わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
ルカ11:9,10


講解説教No.60
ルカ11章5-13節

主の祈りにおいて、祈りの内容が教えられました。次に、いかに祈るかという求める姿勢と、その祈りに対する父なる神の対応が教えられています。この教えに貫かれている主題は「求める」です。厚かましくも真夜中に友人にパンを求めるというたとえ話の論点は「あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう」で、どのように状況が苦しくても、祈り求めることを止めないようにしなさい!ということです。苦しい状況というのは、主の祈りに見られる、クリスチャンが終末に直面する生活の場での祈りというのが前提です。御名があがめられるようにと祈るも、現実はその逆です。また試みに会わせないでくださいとの祈りにあるように、クリスチャンは常にサタンの誘惑に陥る危険があります。そのように私たちは世の終わりに直面する生活の場にいるのです。だからこそ、祈ることを止めないで祈り続けよと主は励ますのです。もし私たちの祈りが答えられないという状況があったとしたら、それは間違った祈りをしているか、祈っていないかのいずれかでしょう。特に、これまでは祈っていたけれどあきらめたということを経験しているかもしれません。祈る意欲を失わせることはサタンの側にしてみたら、クリスチャンに対する効果的な攻撃なのでしょう。私たちは求め続けることを止めてはいけません。「求めなさい・・・」と主は言われます。その理由が大切です。「だれであっても、求める者は受けるからです。」この世界では何を求めても、それを受けるには資格や条件が要求されます。しかしイエスは資格や能力がない者でも求める者は受けるという福音的世界を告知されたのです。神と私たちとは本来、そのような無条件な関係で結ばれています。それが神を父と呼ぶゆえんです。父は子を無条件で愛し、良いものを与えるのです。