2016年2月7日 宣教大会 -でも、おことばどおり-

するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
ルカ5:5


ルカ5章1-11節

(本日の午後礼拝説教要旨)
使徒の働きは、「こうして神のことばは、」(6:7)、と教会の進展を総括しています。「こうして」に含まれる出来事を見ていくと、①教会指導者の逮捕(4:1~)②教会の内部問題その1(5:1-11)③教会指導者の2回目の逮捕(5:17~)④教会の内部問題その2(6:1-6)。教会は困難な中に置かれました。教会の中に偏見による差別の問題が生じました。立場の弱い人たちが追いやられた時に、同じ立場の人たちから解決策としての奉仕者が選ばれました。教会には教会生活の目的を達成するために必要な機能が備えられています。教会とは宣教を行なうという目的のために必要な機能を備えた組織体のことを言います。このときエルサレム教会は奉仕のあり方がはっきり区別されました。みことばを解き明かし、みこころを示す牧会の働きをする奉仕者と、そのみことばの奉仕者の働きを推進させる役割を担った総務的な奉仕者とに。奉仕は主が賜物としてそれぞれにお与えになったものなので優劣はありません。こうして神のことばが拡大し、弟子の数が増えるという宣教能力が成長していくこと、それが教会の真の成長です。教会は様々なことが起こります。問題が生じます。しかし最終的にはその教会が宣教の進展と言う働きができればそれで良いのです。教会は問題を生じさせてしまう弱さがあります。ですから、教会は聖霊の導きに委ねること、聖霊の命令に従うことが必要です。教会の働きは、それがみことばの解き明かしであろうと、食卓にたずさわる働きであろうと、他のどんな奉仕であろうと聖なる仕事です。「こうして神のことばが広まって行き、弟子の数が増えていく」という宣教を目的とした聖なる仕事なのです。