2016年6月12日 ルカの福音書 -イエスの嘆きの涙-

ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
ルカ13:34


講解説教No.78
ルカ13章31-35節


イエスが十字架で処刑されるカウントダウンはすでにされています。ユダヤ指導者たちはイエスをいかにして殺すかだけを考えています(11:53,54)。そこでイエスは特別な準備をされました。①後にイエスキリストを宣べ伝えて行く弟子たちのための準備が一つ。②もう一つは群衆への準備です。イエスにとって群衆はあわれみの対象です。ですから、その準備と言うのは福音を宣べ伝えるという救いの準備です。すでにイエスは、「その人のいのちは財産にあるのではない」(12:13-21)と語り、「今のこの時を見分けよ」(12:54-59)と語り、「悔い改めなさい」(13:1-9)と語り、「あなたの病気はいやされたとの解放の宣言をされ(13:10-21)、「狭い戸口から入りなさい」(13:22-30)と語り、福音を語らずにはいられないのです。きょうの部分もその続きです。ヘロデから逃れよとの助言を受けたイエスは、逃れるためにではなく、人々を解放するための救いのわざを行い続けます。「ヘロデがどう思おうと,福音を宣べ伝える働きを変わらずに続けていくと宣言されているのです。イエスの進まれる場所は死ぬための場所であるエルサレムです。神のことばをいくら語ってもエルサレムの人々は聞く耳を持たない。結局教えを拒み、十字架につけて殺してしまうのです。イエスは神とイスラエルの長い救いの歴史を踏まえて、「ああ、」と嘆かれたのです。神は何度も民を集め、養い、育もうとされました。民はことごとくそれを拒み、自分のしたいようにしました。私たちも同じく自分本位に生きる者です。本来翼の下にいるべき無力なひなであるにもかかわらず。救いの御手はまだ伸べられています。それに応えて翼のかげに身を置けばよいのです。イエスが言われるとおり、今は恵みの時、救いの日です。