2016年6月19日 聖書講演会 失望に終わらない希望~力強く生きるために~

この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
ローマ5:5


ローマ人への手紙5章1-11節

「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい…あなたの子孫はこのようになる。彼は主を信じた。」(創世記15:5,6)アブラハムが神の約束を信じたとき、およそ80歳でした。妻も高齢の上、不妊症でした。希望がない状況であることは明らかですが、聖書は「彼(アブラハム)は望みえないときに望みを抱いて信じた」、と記しています。ぶどうの木であるまことの神、イエスキリストにつながっていると、アブラハムように希望に満ちた生き方ができます。私たちの人生にも、どうしても希望が持てない時があります。人間的に見るなら望みえない状態にもかかわらず神から希望が与えられるのです。希望がないと判断を下すのは私たちの五感です。目で見、耳で聞き、手で触り、舌で味わい、鼻で嗅ぐ限りにおいて可能性はないという結論を心に出すのです。しかし、たとえ私たちがそのように感じる時でさえ、神の約束は希望を持つことができます。クリスチャンは神のみことばを大切にします。アブラハムも神の約束のみことばをどのような時も捨てませんでした。クリスチャンにとって神のみことば(約束)は食べ物であり、エネルギー源です。みことばを食べながら生きている人は、まわりの状況に左右されず元気でいることができます。不況が長引こうと、世の中全体が閉塞感に包まれようと、その人の目にはいつも希望が見えているからです。これからの人間社会は五感だけで生きている人はどんどん元気を失っていくでしょう。しかし、私たちは神のみことばによって希望を抱いて生きることができます。人は神のみことばなしでは、真の意味で肯定的な生き方はできません。神のみことば、それは約束(真実)の世界です。神のみことばによって可能性が開かれるのです。神のみことばが私たちの人生を導きます。神のみことばは絶対にあなたを裏切りません。
「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」 (イザヤ55:10,11)