2016年7月24日 献堂5周年記念礼拝 -礼拝と祈りの絶えない教会-

そして、この宮、すなわち、あなたが御名をそこに置くと仰せられたこの所に、昼も夜も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。
Ⅱ歴代誌6:20


Ⅱ歴代誌6章4-21節

 ソロモンが神殿を完成させたときに語ったことば(祈り)から二つのことを学びます。第一に主を礼拝したいという思いを高めることです。彼は父ダビデのことを語り始めました。「私の父ダビデは、イスラエルの名のために宮を建てることを、いつも心がけていた」(7)ダビデには王としての大切な仕事が山ほどあったことと思いますが、彼の心は神殿を建てることでいつもいっぱいでした。それは、ダビデは主を礼拝することが最高の望みとして抱いていたからです。彼は多才でありながら、とにかく、主の家である神殿に住まうこと、命の限り主の麗しさを眺めることを願っていました。詩篇23篇でも「…私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」(6)と歌っています。私たちは世における責任ある仕事を持ちながら、なおいつまでも主を崇めたいという強い願いを持っているでしょうか?学生としての責任を日々負いながら、何よりも神を礼拝したいという願いを持っているでしょうか?結局ダビデは神殿を建てることを赦されなかったにもかかわらず(9)、その心はしぼむことはありませんでした。それもまたキリストを表しているのであって、父ではなく、御子が宮を建て、御子が国を治められるのです。私たちも主がお与えくださった会堂で、主を心から礼拝しましょう。第二に神殿で祈りをささげることです。天も、天の天も主なる神をお入れすることはできない、神殿などなおさらと理解していたソロモンが神殿を建てた理由は、祈りです。「この宮、すなわち、あなたが御名をそこに置くと仰せられたこの所…に向かってささげる祈りを聞いてください」主の御名によって祈り、その祈りが聞かれるという神との交わりを神殿(教会)で持つことができます。教会は地上にある限り、天への祈りを絶やすことのない所です。もっと祈りがささげられるべきです。この祈りの奉仕は信仰者であれば、どなたでもできます。祈りに参加しただちに祈りましょう。