2016年11月20日 ルカの福音書 ー受難の告知ー

人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。
ルカ18:32,33


講解説教No.96
ルカ18章31-34節

 キリストの受難の3回目の告知です。ここで特に伝えているメッセージは、ルカだけが使用している「はずかしめられ」の部分です。「侮辱する」と同じ言葉で元の意味は「傲慢」です。イエスは肉体的にも精神的にも人間の傲慢による苦しみをお受けになったのです。傲慢は罪のうちの一つではなく、罪の根源です。対人関係で生じる様々な問題点(ねたみ、怒り、いじめ、暴力)はお互いに対して傲慢であることが原因です。根本的には神に対する傲慢から生じて来ているものです。教会の交わりを壊すのは性格の悪さや不真面目さではなく、自分を正しいとする互いの傲慢さです。だから主は兄弟を愛しなさい、何度でも赦しなさい、完全でありなさいとお命じになるのです。それに取り組む私たちが出来ないことをとことん知って、傲慢さを砕くためです。イエスは傲慢さを捨て謙遜になれとは教えません。むしろ、謙遜になることは人の力では不可能と教えます。「人にはできない」と。もっと教えたいことは、「神にはできる」ということです。神のみわざであるキリストの贖いによって傲慢の罪による苦しみを引き受け、はずかしめを受けられ、死んでくださいました。私たちの傲慢さがイエスを十字架につけたのです。告知はさらに「三日目によみがえります」と。傲慢の罪の犠牲となって死なれたイエスは三日目によみがえられました。これが傲慢の支配から救い出される唯一の救いです。この素晴らしい告知を弟子たちは何一つわかりませんでした。理解力の問題ではなく、隠された神の真理だからです。聖書のことばを聞いてもすぐに理解できるものではありません。その理解を超えてただ神の恵みにより頼むことは人の理解と努力ではできません。聖霊の働きによって可能です(使徒2:23、24、1:8)。人の理解力で福音が一つもわからないことは神のお考えによることです。もし人の力によって福音を理解するようなことがあったら、傲慢の罪にただちに陥るでしょう。