2016年11月6日 聖書講演会 -聖書に聞く-

イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
ルカ19:9,10


ルカ19章1-10節


聖書に聞くべきことは、①生けるまことの神がおられ、私たち人間を愛しておられること、②人間は神に対して罪を犯し、例外なく死のさばきを受ける対象であること、つまり救われなければならない立場にあること、です。「天は神の栄光を語り告げ…」(詩篇19:1)とあるように、人が見上げる天体全体はそれらを創造された神の偉大さを物語っています。これは人がだれでも神を認めることができるようになっています。ところが人間は故意に神を知ろうとしない、或いは神を信じることをあえて止めたのです。自分本位な罪を犯して生きるのに神が邪魔だからです(ローマ1:20-21)。そして人は、人として生きるのに最も必要な神の律法に逆らう生き方を選んだのです。神の律法とは、「神を愛すること、人を愛すること」です。人が行う悪い考え、盗み、殺人、性的に悪い行い、貪欲さ、高ぶり、そのほかの行為もすべて神を愛し、人を愛することに反することです。人はそれに反するだけではなく、自らの力で神を愛し、人を愛することが出来ないという愛に完全に失敗した存在であることを聖書は厳しく指摘します。今欲しいものを所有し、繁栄したとしても、すべての人間の行き着く先が死であることは、神の裁きの証明であり寿命で片付くものではありません。裁かれてしかるべき存在を神は愛しているというのです。その理由は「我がもの」だからです。どんなに出来の悪い子でもわが子はわが子です。神は私たちをわが子として失いたくない、その一心です。どれくらい愛してくださっているかは、神の子であるイエスキリストの命を犠牲にするほどです。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された…」(ヨハネ3:16)人は聞く必要のないことをいっぱい知っています。あなたが聞かなくてはいけないことは、あなた自身が失われていること、あなたにこそ神の愛が向けられていることです。