すると彼らに言われた。「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
ルカ20:25
講解説教No.104
ルカ20章19—26節
ユダヤの指導者たちは、イエスを陥れてローマの支配と権威に引き渡し抹殺しようと躍起になっています。そこで考えたたくらみが「ローマ皇帝カイザルに税金を納めることは律法にかなっているか、違反か?」です。律法違反だと答えるように仕組まれた質問にイエスは、デナリ銀貨を持って来させ、そこに刻まれている肖像と銘がだれかを答えさせました。「カイザルのです」と答えた彼らにイエスは、「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい」と言われました。カイザルを考える前に、「神のもの」の範囲を考えるべきです。「すべてのものはこの方によって造られた」(ヨハネ1:3)とありますから、すべてのものが神のものです。私たちが自分で所有していると思っているもの、自分自身のいのち、カイザルの支配も。神はご自身の権威のもとに地上的権威をローマはじめ各世界に与え、世界の秩序を保たれるようにされているのです。神のものは神に返すとは、神の全世界に対する支配と権威を認めて、神にこそ栄光を返し、従うことです。最終的に敵のたくらみが成功し、イエスはローマの権威のもとに十字架で処刑されました。しかし彼らの成功は、神の計画された、十字架刑による救いのわざの実現なのです。神は人間のどうしようもない悪の支配をも使って救いを実現することのできる全能のお方です。すべては神のものです。日曜日に教会に来て礼拝をささげるときが神のものではありません。月曜日から土曜日までの日々の現実の生活も神のものです。ですから全生活の中で神こそ支配者であることを信じて生きることが求められているのです。家庭の営みにおいて神のものは神に返しましょう。仕事の取り組みにおいて神のものは神に返しましょう。学生としての勉強において神のものは神に返しましょう。神のものを勝手に使っていても幸いを得ることはできません。あなたがささげている献金においても「神のものは神に返しなさい」との教えに即してささげて行きましょう。