イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
ヨハネ11:25、26
ヨハネ11章17~27節
イースターは死者の中からよみがえられたイエスの新しいいのちを象徴する記念日です。イエスの言ういのちについて考えます。一般的に人の幸福は望むものをいかに得ることができたかで決まります。欲しかった物、財産、成功、名声…ほとんどものものは努力して得ることができるでしょう。ただ自分の思うようにいかない良き理解者、友、人からの信用など、人の本質的なものというのは失いやすいです。その中で最も思い通りにならず、大切なものと言えば「命」です。私たちの経験する苦しみは、日々歩む中で、自分が得たものが取り去られていくことにあります。ですから日々取り去られることに抵抗します。しかし命の死においてはもはや無駄な抵抗となり、死の力の前では誰もがただ座り込むしかないのです。イエスを慕う者で、世の終わりのときによみがえることを知っている者でも、「知っております」(22,24)と自分の頭の中で理論的に知っているに過ぎません。理論的な考えで復活のいのちは決してわかりません。そういう者に対してイエスは真っ向から対立する言葉を語ります。「わたしは、よみがえりです…」そう言われる根拠は、第一に死の理解です。寿命や生命の機能停止が死なのではなく、罪のさばきが死です。この罪の問題が解決されるならば死は克服されます。犯した罪をなかったことにはできないので、神の御子キリストが人のすべての罪を担われました。身代わりの罪とされたキリストがさばきとしての死を受けられましたが、3日目に死者の中からよみがえられました。これが第二の根拠です。このよみがえりが罪と死からの勝利宣言です。この肉体はいずれ死んでも、人を支配する死の力は、イエスによって根本的に克服されているのです。「このことを信じますか」とイエスは聞かれます。理論的にではなくてです。