しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。
ルカ21:36
講解説教No.110
ルカ21章29~38節
イエスは一つのたとえによって神の国の近いことを知りなさいと教えられた。木々の芽生えで季節の移り変わりがわかるように、戦争や大地震、迫害が起こるのを見た時、神の国が近づいているのを悟るのです。「すべてのことが起こってしまうまではこの時代は過ぎ去りません」とは、イエスの再臨によってこの時代、この世界は終わるのだと言うこと、大地や天体の異変が終わらせるのではないことを示しています。「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません」は、苦難のときに身を起こして頭を上げていることの根拠となります。「国破れて山河あり」ということわざがあります。戦いで国が滅びても山や川の自然はもとのままの懐かしい姿で存在しているという意味です。しかし、イエスは「これだけは決して動かない」と思われる天地も滅びる、人間の営みもろともに滅びるのだと言われました。そして神しか言うことのできないことばをその後に発したのです。「わたしのことば」は僕然としたものではありません。キリストを世に遣わし罪人を救うという明確な神のご意志がわたしのことばです。今は私たちの罪の弱さゆえに苦しんだり悲しんだりします。しかしイエスがおいでになった時に、それらすべてに勝利し、イエスと同じ復活体をいただくのです。その人には永遠の御国が定まっているにもかかわらず、揺れ動く歩みをしていたのだとしたら、その人は御国の完成にまっすぐ向かっている神のご意志(みこころ)を本当の意味で知らないのです。もう一つの注意点は主イエスのことばに対する感覚が鈍ることです(34)。鈍らせるものは放蕩や深酒、この世の生活の煩いもろもろです。また油断せずに祈れとも。み言葉に対して鈍くなれば祈りも止まります。その対処はやはり祈りです。