2017年9月10日 ルカの福音書 -鈍い心がうちに燃えるとき~共に歩いてくださるイエス~-

話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、
イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。
ルカ24:15


講解説教No.128
ルカ24章13~27節

三日目によみがえられたイエスが二人の弟子に近づかれ、彼らとともに歩かれました。それまでイエスのことについて議論していたにも関わらず、彼らにはイエスがわかりません。「目がさえぎられていて」と聖書は理由を語ります。話し合っている内容を聞かれた彼らは、イエスが神から遣わされた預言者であったこと、行い(わざ)にも力のある方であったことを強調しました。一週間前、イスラエルの王としてエルサレムに入場されたイエスをどんなにか喜んだことでしょう。その力のある方がイスラエルに救いをもたらすことを信じていたからです。ところが彼らの願いは裏切られました。「それなのに…十字架につけ」て殺されてしまったのです。さらには葬られたご遺体がないこと、み使いが出現しイエスが生きていると告げたことを聞かされたました。彼らは復活を告げることばを聞いたにもかかわらず信じなかったのです。きょう、私たちが知るべき真理は、信じることの出来ない鈍い心の弟子たち(私たち)と復活されたイエスが共に歩いてくださるということです。ご自身近づかれて。ただ歩かれるだけではありません。「何のことですか?どんなことですか?」と私たちの苦しい思いを聞き取ってくださいます。それだけではありません。聖書を解き明かしてくださいます(説教)。説教を聞くことは生きておられるイエスに出会う準備です。聞いたときにイエスがわかればいいのですが、そういうわけではありません。ここで大事なのは、イエス(聖書)の語ることに耳を傾けることです。それまでは(イエスについて)自分の考えを、ああでもない、こうでもないと論じ合っていました。それを止めて耳を傾けるとき心に大きな変化が生じて来ます。本日の礼拝でも聖書の解き明かしである説教を聞いています。自分流で聞くのを止めましょう。でもそのあなたとイエスは歩いてくれています。