2018年3月25日 ペテロの手紙第一 -「弁明の用意」-

むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
Ⅰペテロ3:15


講解説教No.18
Ⅰペテロ3章13~17節

 迫害や苦難があったとき、クリスチャンとしてどういう態度を取ったら良いのかを教えています。世の中は必ずしも、正しいこと、正直なことが喜ばれるわけではありません。利益のために時にはごまかしも必要と、「必要悪」が説かれる時代です。キリストに従うならその人の生き方は正直に、また誠実になります。この生き方を悪く言って来る人たちがいた場合、取るべき態度の第一は、恐れないこと、動揺しないことです。まだ起こってもいないことを本当であるかのように恐れるのが恐れです。事実でないことのために信仰さえも押しつぶされて行きます。恐れず動揺してはならないと聖書が教える根拠は、「義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです」(14)と言っている点です。苦しい事態に幸せと言い切るのは、すべてをご覧になり、すべてを聞いておられる(12)神が必ず手を差し伸べてくださるからです。第二に、心の中でキリストを主とあがめることです。「心の中で」とは他の人にわからないようにということではなく、その逆です。キリストを崇めることが単なる口先の事柄ではない、その人自身の確実かつ真実な態度からのものとして崇めるということです。恐れず動揺しないことにしても、キリストを崇めることにしても、心の持ちようという精神論ではないのであって、苦難の中で事実としてその人が行うべきことなのです。第三の対処として弁明の用意です。救いについての弁明です。キリストに従って誠実に生きているなら、説明を求める人が必ず現れます。「どうしてそんな生き方ができるのだろう?」と。その時に、敵対意識を持たずに優しく、福音を聞くべき相手として敬意ゆえに慎み恐れて、また神の前に立っているという明確な意識をもって正しい良心のもとに弁明するのです。決して感情に左右されず、誠実に行いましょう。