このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。
Ⅰペテロ4:1
講解説教No.20
Ⅰペテロ4章1~2節
信仰ゆえの困難に負けることなく歩み続けるためにペテロは励まして来ました。「自分自身を武装しなさい」というのが次の励ましです。どのような迫害にあっても神のみこころに忠実に従ったイエスと同じ心構えでの武装が求められています。なぜ武装することが必要なのでしょう?それは罪とのかかわりを断つ勝利の生活となるからです。その人は罪を犯さなくなるわけではありませんが、今以上に自分の罪を憎み、神を愛する者と変えられるために、様々な試練が神から与えられるのです。試練の苦しみからキリストへの信頼が増し、罪から離れて行きます。私たちは困難から逃れるために神を信頼しません。その動機だと困難が残ったままであったら神を信頼できないことになります。主への信頼がどんなに幸いなことかを味わいたいものです(詩篇40:1-8)。第二に、それは価値ある生活のカギだからです。武装するなら、一日一日の生活を無駄に過ごすことがなくなります。無駄な生活とは欲望のために生活することです。かつては禁じられているものにあこがれ、自分の欲求を満たすことを目的に生きてきました。今も欲に引かれることは確かにありますが、その欲のためには生きていません。神のみこころのために過ごす生活は、苦しみの中を通って栄光へと導かれる生活です。或いは善を行って苦しみを受けたことでキリストの素晴らしさが伝えられる生活なのです。ペテロはかつて、みこころに背き、キリストを知らないと三度も否んだことで自分自身を武装することが出来ない経験をしました。しかし主はペテロをあわれみ聖徒たちが苦難でくじけそうなこの時のために用いてくださったのです。私たちも主の尽きないあわれみが注がれ続けているので、必ず主のみこころのために過ごすことができるのです。現にみこころを行いたいという願いを抱いているではありませんか。