2018年4月22日 ペテロの手紙第一 -主のさばきを覚えよ-

講解説教No.21
Ⅰペテロ4章3~6節

彼らは、生きている人々をも死んだ人々をも、すぐにもさばこうとしている方に対し、申し開きをしなければなりません。
Ⅰペテロ4:5


 信仰者は地上に残された時を人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになります。欲の誘惑に戸惑うことがあっても、欲のために生きてはいません。むしろみこころを行いたいという願いがあるのです。神によって新しく生まれた証拠です。さて4節以降、まず神のさばきへの備えのない人について、この人は不従順な生き方です。今の楽しみだけを追求する生活です。神を恐れません。神によって変えられた人の生活を不審に思い、自分の考えに当てはまらないことは何でも訳もなく怒るのです。神によって変えられた人を悪く言うことは、彼らを変えた神を悪く言っているのです。また彼らは神の警告を聞きません。そんな彼らは神による審判が必ずあるということを知りません。神に対し申し開きをしなければならないことも知りません。生きるも死ぬも人には責任があります。どんな生活をしようと神に対して逆らうことを止めない人はさばきへと向かい、罪を示されて立ち返る人は永遠のいのちへと向かうのです。さて、神のさばきへの備えが出来ている人は、信仰ゆえに非難を受けていた生活こそ正しいと神が証明してくださいます。今すでに天に召されたクリスチャンたちがいます。彼らは病気や迫害という「肉体において人間のさばき」を受けました。しかし彼らの生き方こそ正しいと神が証明されました。今彼らは主イエスとともに永遠のいのちを楽しんでいるのです。この地上では、地上の基準によってさばかれます。しかし最後には神の基準によってさばかれるのです。地上の人間によるさばきを恐れてはなりません。最後に真実なさばきをされる方を覚えましょう。このことのゆえに、今私たちは忠実に歩み続けよと勧める聖書に従うのです。いましばらくの時は忍耐を必要としますが、神の正しい審判が最後にくだされるとき、私たちは報われます。