2018年7月8日 ペテロの手紙第一 -恵みの中にしっかりと立て-

私の認めている忠実な兄弟シルワノによって、私はここに簡潔に書き送り、勧めをし、これが神の真の恵みであることをあかししました。この恵みの中に、しっかりと立っていなさい。  
Ⅰペテロ5:12


講解説教No.29
Ⅰペテロ5章12~14節

 ペテロは代筆者シルワノによって、この手紙で二つの内容を書きました。「勧め」と「神の真の恵みであることのあかし」です。勧めとは一般的に助言、アドバイスのことです。実際にペテロも「…服従しなさい、尊敬しなさい、肉の欲を遠ざけなさい」などと勧めています。ただ聖書の場合、「勧め」には「慰め」という意味があるのです。つまり聖書の勧めは、主イエスキリストの福音による慰めを伝えて、そのキリストによって生活するようにと勧めるのです。確かに実際的な勧めの前に、「私たちを新しく生まれさせて…たましいの救いを得ている…選ばれた種族」など福音による慰めが語られています。福音のうちにある慰めと力を頂くことで、実際的な勧めに従うことが出来るのです。また逆に、現場での困難が聖書に書き記されている福音の慰めと力を思い起こさせてくれます。もう一点、ペテロはこの手紙で「神の真の恵みであること」を特にあかししました。困難な状況の中で聖書の勧めに従って行くとき、自分を奮い立たせて、信仰心で頑張って従うのではありません。それは自らを「これだけ従っているのに、これでいいのだろうか?」という迷いと葛藤に追い込むだけです。信仰に生きるとは、神が一方的に政教してくださった恵みを味わい、その恵みを素直に喜び、恵みの中に生きることです。そうすると、苦しみの道を通されていることも恵みとなります。悪魔に立ち向かうこともです。そのことで私たちの信仰が追い詰められて初めて揺るがないお方を見出すゆえに恵みなのです。人間は自分にとって良いと思えることにしか恵みを感じ取ることのできない身勝手な存在です。しかし神の御手の中に生かされているということは、良いと思えることも、悪いと思えることも、すべて神のもとで提供されているものと受け止めた時、恵みによる生活だとわかるのです。