2018年9月2日 「みことばの力」鄭永健(テイ・エイケン)師

イエスは「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。       
マタイ14:29


マタイの福音書14章28—29節

(祈り会説教 Ⅱ歴代誌11章より 「神がそうしむけられた」)
 
 ソロモン王から息子レハブアムを王にしようとの動きがイスラエルにありました。この時民は労働の軽減を要望しました。ソロモンは宮殿をはじめ軍事的施設の建設に没頭し、民に厳しい労働を強いていたからです。レハベアムが労働の軽減に成功すれば民の信頼を勝ち取り、イスラエル全体の王に就任することが容易となります。ところが、どういうわけか彼はソロモンの時よりも更に重い労働を強いるようにしてしまったのです。聖書はそれを「神がそうしむけられた」と記しています(10:15)。不利になったレハベアムは民の不満によって、彼の部下を殺害されてしまいます。彼はイスラエルを自分のものへと取り戻すために戦おうとします(これがイスラエル分裂の起源です)。レハベアムのもとに預言者が遣わされ、「戦ってはならない」と神から示されます。戦わないということはイスラエルを一つにまとめることをせずに二分したままということです。実はこれも「わたし(神)がこうなるようにしむけた」ことでした(11:4)。イスラエルが一つになるのは今ではありません。メシア王国が実現したときに一つとなるのです。壮大な神のご計画の一つにイスラエルの分裂があります。分裂をしたときの出来事だけを見ていたら神への疑問が残るだけです。では、「神のご計画全部を先に教えてください。」としたら納得して従うことが出来る…?いいえ。むしろ私たちは混乱します。神がイスラエルを分裂するようにしむけられたことは、この先も見越して見えて来ることです。1分先もわからない私たちは聖書に示された範囲で満足することです。その私たちにできる最善は「聞き従うこと」です。神のお考えを一生かけても解明できないのですから、お任せして服従することです。