2018年11月25日 ペテロの手紙第二 -義の道を知っていながら-

「義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとってよかったのです。」
Ⅱペテロ2:21


講解説教No.17
Ⅱペテロ2章20-22節

 偽教師たちはイエスキリストを知っていました。この方が救い主であり、創造者であり、主権者であることを知っていました。またそれにより「世の汚れからのがれ」たいとも思っていました(20)。自分を変えたいと一生懸命努力したということが出来ます。変えたいという思いは正しいですが、その方法が間違っています。自分で自分を変えることが出来ないからです。それができるのは神だけです。彼らはキリストとその真理を知っていました。しかし救いには与っていませんでした。どんなに聖書に記されているキリストを知っていようと、キリストを信じていなければ救いはないのです。彼らが救われていないのは、救いの真理を聞いていながら、自分の意志でそれを拒んだからです(へブル6:4-6 10:26,27)。もし本当に救われているなら、神の真理から離れることは決してありません。Ⅰヨハネ2:19から、何があっても信じる信仰にとどまる人たちは救われている人たちであるということがわかります。また救いは神からの贈り物です。私たちが選んでしがみついているのではありません。神のほうから働いてとらえてくださったのです(ヨハネ10:28,29)。神の救いの確かさゆえに救われた人は神から離れて汚れた歩みに戻ることはあり得ません。ペテロは偽教師たちの言及の最後に、犬と豚の習性について語りました。犬は自分が嘔吐した物に関心をもってそこに戻っていくという習性、豚はどんなにきれいにしても泥の中に好んで入っていく…つまり本質が変わらない限り、何も変わらないのです。彼らは神が内側を変えてくださるのに、それを拒んだのです。人間にとって一番必要なことは内側が変えられることです。Ⅱペテロ1:3,4から、救いは永遠のいのちを与え、信じる者を完全に生まれ変わらせることができます。神のご性質にあずかる者へと変えてくださいます。