2018年12月9日 ペテロの手紙第二 -ひとりでも滅びることを望まず-

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
Ⅰテモテ2:4


講解説教No.19
Ⅱペテロ3章8-10節

 イエスが再び地上に来られる「再臨の遅れ」に対する対処について教えています。第一に、「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです」(詩篇90:4)と、聖書から神と人間との、時間の概念が違うことを見落としてはいけません。一日24時間という時間の領域の下にいる私たちには千年は長いのです。しかし神はその領域の下にはいません。限られた時間のもとにではなく永遠のうちにおられる方です。つまり神の時間を人間の時間概念で「遅い」と測ろうとすることに問題があるのです。第二に、神に対する認識を見落としてはなりません。「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません」遅らせている神の理由があるのですが、問題は神に対して人間と同じ考え方を適用していることです。これは神を神として見ていないことから生じます。再臨がまだ来ないのは、神が、ひとりでも多くの罪人が救いに与るようにと望みながら、忍耐深くし待っておられるからです。今この救いに与っているのは神の忍耐があったからだということを忘れてはなりません。私たちのうちに救われる理由は一つもありません。なぜなら自らの意志を持って罪を犯した私たちには滅びが相応しいからです。しかし神はそのような私たちを忍耐深く待っていてくださったのです。そして感謝なことに、救いへと導かれたのです。再臨がまだ来ないもう一つの理由は、神は人間が滅びることを望んでおられないということです。神は罪を憎まれますが、罪人をどこまでも愛しておられます。神に逆らい続けた状態で地獄に至ることを神は喜ばれないのです(Ⅰテモテ2:4)。人間であれば、嫌な人、自分を責めて来るような敵が滅んでしまうなら喜ぶかもしれません。しかし神は、そのような人が滅びることを喜ばれないのです。