3月24日 コリント人への手紙第一 -豊かな者とされた人たち-

というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
Ⅰコリント1:5


講解説教 №3
Ⅰコリント1章5、6節

 ことばにおいて豊なものとされたとパウロは語ります。救われると会話することばが豊かに変わります。それまでは決して口にすることはなかった福音のことばを語ります。また真実なことばを語るものとして豊かにされます(エペソ4:25)。もう一つは、信仰の益となることばを語ることにおいて豊かなものとされます。また、兄弟の信仰成長に有益なもの、成長を助けるものであるように、と教えています。第二に知識において豊かなものとされます。知識とは神のみこころを知るためのものです。コロサイ1:9では「神のみこころに関する真の知識」とあります。みこころとは、神がこうすると言ったご意志のことです。どんなときにも神のみこころを見分けて判断して行くためには①聖霊の助け、②聖書のみことば、③みことばを解き明かす者がいる教会、の3つが必要です。私たちがどんなに弱く、愚かでも、ことばにおいて、聖書の実践において神が喜ばれる者として歩むことができます。
「…豊かな者とされたからです。それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったから」と。キリストについてのあかしとは、救いのメッセージのことで、それを聞いた彼らの心の中に根付いたことが語られています。つまり救いを受け入れたということです。パウロが教えたいことは、その救いによって私たちが豊かさを頂いたということです。救いに与った人は、神が喜ばれるように生きて行くことが必ずできるということです。
ことばが豊かな者とされるとは具体的にどういうことかというと、単に悪い言葉をいわなくなるのではなく、キリストを指し示すことばを語ることとして悪い言葉が減っていくのです。自分が満足するような発言がなくなり、キリストが満足することば、すなわち福音のことばを口にするのです。