2019年4月28日 コリント人への手紙第一 -主イエスキリストとの交わり-

神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。
Ⅰコリント1:9


講解説教 №7
Ⅰコリント1章9節


「交わり(コイノニア)」とは、「共有」することです(使徒2:44)。貧しかったエルサレム教会は自分の持ち物を売って、それを皆と共有して助け合っていました。そのような互いの益となるように共有するのが交わりです。益となるために喜びや悲しみも共有します(ローマ12:15)。これらはすべてキリストの愛から出ていて、この交わりの結果、キリストのからだである教会が建て上げられていきます。教会で「楽しい、良かった」という集まりが必ずしも交わりとして成立するとも限りません。自分本位なものもあるからです。パウロは手紙の後半でコリントの兄弟たちに「そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい」と勧めました。神から与えられた賜物を自慢するために使っていたからです。「徳を高める」は「家を建てる」という意味の言葉ですが、クリスチャンは霊的に建て上げられて行くことが神に求められています。さて、パウロは、救いに与った人は主イエスキリストとの交わりに入れられたと教えました。イエスと私たちが何かを共有していると言っても、私たちのうちから何一つ提供したものはありません。この交わり(共有)はイエスが一方的に私たちに良いものを提供し続けてくださっているのです。無尽蔵の神の愛が注がれ(ローマ5:5)、永遠のいのちが提供されました(ヨハネ10:28)。さらに喜び(ヨハネ15:11)、平安も(ヨハネ14:2)。イエスがこれらを今もなお提供し続けてくださっています。その目的はイエスが提供されたもので生きるためです。もし私たちがそのように生きていないとしたら、それはなぜなのでしょうか?なんとなく神のことばを聞いているだけで満足してしまっているからかもしれません。イエスを見てください。イエスほどその生涯において、孤独、迫害、裏切りを経験した方はいません。しかしイエスほど平安に満ちた方はいません。私たちもそう生きることができます。