2019年4月7日 コリント人への手紙第一 -再臨待望-

その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待っています。
Ⅰコリント1:7


講解説教 №5
Ⅰコリント1章7節


 神の恵みによって救われた私たちは、神からの祝福をしっかりと覚えて歩むことが大切です。私たちの現状、生じた問題に取り組む前に、主に贖われて神に属する者、或いは神に属する教会とされたこと、聖徒されたこと、聖なるものとされたこと、或いは賜物が与えられたことという祝福に目を留めるのです。それらの祝福に続いて、「主イエスキリストの現れを待つ」という再臨待望という祝福を覚えることを教えます。これは主の再臨が必ず起こる出来事として心待ちにして待つ状態です。そのように待つのは旧約、新約聖書の一貫した神の約束だからです。聖書のことばを確認してください。イエスキリストは確実に来られます。だから待つのです。この手紙で教えている大事なことは、救いに与った人たちはみな、キリストの再臨を待ち望むのだと教えていることです。誰かから言われて待つのではなく、救いに与ったなら、その人への祝福として再臨を待つと教えているのです。救われた人は生き方が変わります。不敬虔さ、世の欲を捨てます。自制心をもって悪を避ける慎み深い生活に変わります。神に忠実になります。その変えられた生き方の中に、イエスキリストを待つという生き方が含まれているのです(テトス2:11-13)。救いに与った人とはキリストがおいでになるのを待ち望む人なのです。再臨待望は「祝福された望み」です。第一に主に直接お会いするという祝福です(Ⅰヨハネ3:2)。第二にキリストに似た者となるという祝福です(ピリピ3:21)。第三に主からの報いを受けるという祝福です(マタイ25:21)。この地上で神の民として生活することには必ず困難が伴います。だからこそ、祝福された望みである再臨待望が信仰生活を送り続ける十分な動機となるのです。