2019年7月21日 コリント人への手紙第一 -キリストの心-

生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。        
Ⅰコリント2:14


講解説教 №17
Ⅰコリント2章10-16節
 
 神の救いのご計画を、人間自らが決して悟ることがないのが神の知恵です。信じようがないこの状態をどうしたらいいのかということを10節以降で説明します。第一に、聖霊によって神の知恵が与えられたことを教えています。神がどういうお方か、神の救いはどういうものか、人の存在はどういうものか、それらがわかるのは聖霊によります。聖霊は聖書を手段としてわからせます。聖霊は神のご計画を含むすべての事を知り尽くしておられるお方です。私たちが神の知恵を理解するために、神の御霊を頂く者となりました(聖霊の内住)。だからこそ、主の働きが出来るのです。内住の目的は、第一に救いのためです。第二に神の祝福を知るため、第三に神の祝福を宣べ伝えるためです。「御霊のことばをもって御霊のことを解く」の「解く」は「説明する」という意味があります。私たちが神のことばを人々に説明するためには必ず神のことばが必要です。なぜなら神が与えてくださった聖書を私たちが人々に伝えるときに、聖霊は聖書のことばを用いて人々に神のみこころを教えるからです。私たちは聖霊の助けがあって初めて神の知恵が真実かどうか判断がつきます。自らの力で聖書を調べても限界があるのです。
しかし救われた人はすべてのことをわきまえ、判断できます。神の前に何が正しく、何が間違っているのか判断がつくのです。また聖霊を受けた私たちは、神の評価だけに関心が行きます。周囲の人たちが何を言おうと無関係です。「私をさばく方は主」(Ⅰコリント4:4)だけなのですから。最後にパウロは、クリスチャンの心にはキリストの心があると言われました。「心」は「判断」です。キリストの思い、キリストの判断が私たちの判断です。これまで自分勝手な判断をしてきましたが、キリストの判断へと変えられて行きます。