2019年8月18日 コリント人への手紙第一 -人間を誇ってはいけない-

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。                                         

Ⅰコリント3:16



講解説教№21
Ⅰコリント3章16-23節


 据えられた土台(霊的指導者からの教え)にどのように建てるかは各クリスチャンの責任です。「金、銀、宝石」か「木、草、わら」のいずれかで建てるとは、主の教えを実践するか、しないかということです。その真価はキリストのさばきによって問われます。金属は火で溶かすことで不純物を取り分けます。同じように、クリスチャンも主のさばきの前に各人の働きが明瞭になるのです。そのさばきの結果は建物が残って報いを受けるか、焼けて報いを逃すかです。クリスチャンの果たすべき責任(みことばの実践)が必ず評価されるということです。クリスチャンとしての責任が問われるのは、「あなたがたが神の神殿」であるという神聖な事実があるからです。神殿には至聖所という神の臨在される場所があります。つまり、救われたクリスチャンと、その集まりである教会のうちには神が臨在されているということです。その神殿を壊すなら神がその人を滅ぼすと厳しいさばきが語られています。壊すとは、偽りの教えにより、教会に分裂を起こし、主の望まれる建て方をさせないことです。つまり主の教えを実践させず、主の再臨に対する希望を抱かせないなら、主は必ずさばくのです。パウロは今一度、知恵を誇る人たちに、自分を欺いてはならないこと、誇ってはいけないことを教えます。クリスチャン自身が、教会が神の臨在する聖なる場所であることを知り得ない知恵は愚かであり、無益です。その知恵でどんなに教会を高めようとしても、争いが生じ、教会を壊すことしかできないのです。
教会或いはクリスチャン一人一人に神が住んでくださっている聖なる場所であることを、ほんとうに知らないのか、その事実を忘れているのか、それとも、わかっているのに自堕落な教会生活を送っているのか、自問して対処しようではありませんか。