2019年12月22日 クリスマス礼拝 ー人となられた神ー

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
ヨハネ1:14


ヨハネ1:14-18

偉大な人物の誕生を記念することはあるでしょう。しかし、どの時代においても、全世界的に祝われるのはイエスキリストだけです。理由があります。「神が人となられた」特別な誕生だからです。クリスマスの本質であるこのことを知ることが大切です。「ことばは人となって…」の「ことば(ロゴス)」は、当時の聞き手人にとって「宇宙的、絶対的な存在」つまり神であると伝わりました。
マタイ福音書では「この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方」と伝えています。そうすると、私たち人間を罪から救うために、神が人となられて、お生まれになったことがクリスマスです。「…私たちの間に住まわれた」という表現は、旧約時代の幕屋に基づいたものと言うことが出来るでしょう。「彼らがわたしのために聖所(幕屋)を造るなら、わたしは彼らの中に住む」(出エジプト25:8)罪に満ちている人間は、栄光に満ちた神を見ることも、会うことも出来ません。
もし神を見るなら、それは死を意味します。ですから、神の側から人に近づいてくださったのです。それが幕屋であり、人としてお生まれになった神です。私たちを罪から救うためです。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世(私たち)を愛された…」(ヨハネ3:16)のです。それは私たちの罪のためにキリストという代価を支払ったことを意味しています。それが十字架の死です。聖書のたとえ話の中に、畑の中に隠されている宝の教えがあります。その宝を見つけた人は、急いで帰って、自分の全財産を売り払って畑を買うのです(畑の所有者が宝の所有者)。父なる神が、ひとり子イエスキリストを、この世に人として遣わされたのは、このたとえのようです。私たちを価値あるものとして愛し、神の全財産であるひとり子イエスキリストを代価として払い、私たちをご自分の宝とされたのです。なんとしても罪から救いたいという思いで。