2020年8月16日 コリント人への手紙第一 -死者の復活について(3) ~キリストの復活がなかったら~-

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。  Ⅰコリント15:19 講解説教№60 Ⅰコリント15章12-19節 死者の復活とは、キリストの再臨の時に、既に死んでいるクリスチャンたちを含めて、栄光のからだをもって永遠のいのちにあずかることを言います。コリント教会の一部にそれを否定する人たちがいました。「福音理解を決定的にするものが復活の主の顕現」であり、私たちの救いに一番重要な要素です。そうすると、死者の復活がないとすることは、救いに必要不可欠な主の復活もあり得ないということになります。何をもって救いというのでしょうか?キリストご自身の死と葬りと復活、その復活にこそ、神が与えようとしておられる救いの完成形があるのです。つまり、信じる者に神のいのちとからだが与えられる、そういう救いです。キリストの復活はその救いの完成を保証してくれているのです(ローマ4:25)。キリストは肉体をもってこの世に来られ、肉体をもって十字架につけられ、その肉体が葬られ、その肉体をもって復活されました。そうであれば、私たちに与えられる救いは内面的なものでも、実体のわからないものでもありません。死者の復活は、間違いなく、私たちの肉体において具体的に起こることなのです。これを望みとして生活するのと、しないのとでは生き方が全然違います。生活上の困難の受け止め方、感謝の度合いも違います。つまり私たちの生活はもっと素晴らしく変わるということです。今の生活は再臨の時に与えられる復活の恵みの、ほんの一部を味見しているに過ぎません。既に素晴らしい恵みを頂いていますが、今だそれは完成していないのです。どれほどの恵みを待ち望むことができるのかということです。その神の恵みを小さくしてしまっている人がいます。キリストに単なる希望を置いている人です。聖書はその人を、「すべての人の中で一番哀れな者です」と。キリストに対して、単なる希望、絶大な希望を置くのか、どちらを置くかで学校生活、職場での働き、家庭生活が大きく違います。後者なら、だれかに伝えずにはいられないでしょう(宣教の動機)。