2020年8月2日 コリント人への手紙第一 -死者の復活について(1)~最も大切なこととして伝えたこと~-

兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。  Ⅰコリント15:1 14章までの手紙の内容は、コリント教会からの質問に対してパウロが答える形でした。しかし、15章の「死者の復活について」(12)は、パウロ自身が伝えなければならないと考えて語っているものです。「最もたいせつなこと」(3)と言うほど重要な問題にもかかわらず、コリントの兄姉たちから尋ねなかったのは不思議です。恐らく教会のほとんどの人が問題意識を持たなかったためでしょう。霊的幼子が多いコリント教会の霊性の低さが伺えます。その背景にギリシャ思想の「二元論」の影響も十分考えられます(使徒17:32)。そのような彼らに、復活こそクリスチャンの希望であると「福音」についてパウロは熱く語るのです。福音は継承されていくものです(1)。パウロがコリントの人たちに宣べ伝え、彼らが受け入れたものが福音であり、自分で見出したものでも、作り出したものでもありません。もし自分の好みに合わせて受けたなら、救いはありません。継承された福音だから、「それによって立っている(生活の拠り所となっている)」ことができるのです。ところがコリントの兄姉は、その福音から逸れて行ってしまいそうになりました。ここで再教育です。「最も大切なこと」の第一に、福音はキリストが私たちの罪のために死なれた、という言葉で始まります。キリストは私たちのために死ぬという使命を帯びて世に来られ、使命を全うされました。そのことゆえに、私たちの救いはあるのです。ですから聖書の言葉は「キリストは…私たちの罪のために死なれた」と、ここから読まないと真の理解はできません。しかし、そう読むなら、私たちの罪を負って死なれたイエスがよみがえられたという次の所に移ることが出来るのです。第二は、キリストが「葬られたこと」 その肉体が死んだということの確認が皆の前でなされたということです。キリストの死が私たちの罪のための死であるなら、キリストの葬りに私たちの死の葬りが同時になされていることになります。そしてキリストの葬りは次の復活の備えになっています。その葬りによって、私たちの死とそのすべての苦しみを葬り去ってくださったということです。第三は「三日目によみがえられたこと」です。キリストの死は私たちの罪のためのものでした。その罪は、人間の肉体と霊のすべてを破壊しました。そうすると、イエスの復活というのは 破壊された人間の肉体と霊に及ぶものになります。霊魂だけの救い、復活など逆に根拠のないものです。キリストの復活に裏打ちされた死者の復活は、壊れたものが修復されるというものではありません。全く新しい創造です。救われている者には、既にこのことが確約されています。この福音をしっかり保っていれば、どんな問題からも救われるのです。