2020年8月9日 コリント人への手紙第一 -死者の復活について(2) ~神の恵み~。-

兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。 Ⅰコリント15:1 講解説教№59 Ⅰコリント15章5-11節  本日、お伝えするメッセージの中心は、『復活の主の顕現は、福音を理解する上で決定である』ということです。それは、キリストを信じる信仰を確信させ、揺るぎないものにさせるからです。また人間を根底から変えるからです。パウロが福音を真に理解したというとき、彼が復活の主と出会ったことで、キリストと教会の大迫害者からキリストを宣べ伝える宣教者となる大転換をした大きな証しがあります。この根底からの変革は、キリストの復活以外の何かで起こり得るものではありません。私たちにしても、キリストがいるという生活とはおよそかけ離れた生活を送っていたのではないでしょうか。ところが今は、これまでにはあり得なかった混乱の時こそ平安を抱くことのできる生活を送っています。またパウロと同じように、このキリストを宣べ伝えて行くという方向に変化しているのです。これは復活の主に出会った結果です。復活の主が「現れた」ことを6組もの人たちをパウロは紹介しています。これは復活したという事実を科学的に証明しているのではありません。多くの人が、イエスが復活されたことを証しする証言者になったことを強調しているのです。教会の中に、今なお多くの人が復活の主と出会い、主の復活を信じ、証言者となっているかを示すものです。福音理解のカギがここにあります。人は証拠があっても、それを信じるか信じないかは別です。ですから、キリストがよみがえられたという証言者の目撃と、その人が心から信じている(信頼している)ことが必要となって来ます(参考 ヨハネ21:27-29)。復活の主と出会ったパウロは、自分を特別に選ばれた使徒と言っています。「最も小さい者」と謙遜を示しつつ、他の使徒たちよりも「多く働きました」と主張しています。ここにパウロの福音理解が表されています。間違いなくお会いしたから、復活の主を宣べ伝える働きをしないではいられないのです。私たちは絶対的権威の神のことばである聖書を通して、復活の主に出会いました。 今後もみことばによって、その確信を強めて行きましょう。パウロは復活の主との出会いを「神の恵み」と受け止めています。救われたとはいえ、かつてはクリスチャンを死に至らせることに賛成したパウロです。「私など福音を伝える資格はない」と彼が言わなかったのは、神の恵みを知っていたからです。「神の恵みによって、私は今の私になりました。」あなたもです。