2020年10月11日 聖徒たちのための献金

さて、聖徒たちのための献金については、ガラテヤ諸教会に命じたように、あなたがたにもこう命じます。 Ⅰコリント16:1 コリント人への手紙第一講解説教№66 Ⅰコリント16章1-4節 復活信仰の勝利!で手紙が終わったほうが良いように思いますが(15章)、パウロは「さて、聖徒たちの献金について…」(16:1)と、最後に献金の話しを持ち出しました。その狙いは、復活の信仰に堅く立った上で、主のわざに励むことができるので、主のわざとしての献金を取り上げたのです。私たちは神に召され(救われ)、キリストとの交わりに入れられました(1:9)。その召された者が宣教というキリストの事業に参加するのです。聖徒たちのための献金とは、エルサレム教会のクリスチャンたちへの献金のことです。迫害と飢饉で困窮していたためと、ユダヤ人クリスチャン(エルサレム教会)と異邦人クリスチャンの一致のためというのが献金する理由です。表面的には困窮問題、内面的にはそれ以上に深刻な両者の信仰の不一致です。互いを隔てている「敵意」の「壁」をイエスキリストが打ち壊してくださったのです(エペソ2:14,15)。これは神の救いのご計画において重要なテーマであって、救いの完成に向けて両者が一つとなることは必須事項です。キリストによってのみ一つとなります。コリント教会をはじめ、異邦人教会のクリスチャンたちは、エルサレム教会の兄姉たちと会ったことも、顔を見たこともなければ、ギリシャとユダヤという物理的、民族的距離もあります。人間的なつながりはありません。唯一のつながりは、キリストの救いに与かり、教会に加えられ、互いに聖徒とされたことです。献金という主のわざに励むことで、互いが一つとなることがパウロの狙いなのです。問題が山積しているコリント教会が、そんな主のわざに励むことが出来るのか?彼らもキリストを信じる信仰を抱いているのですから、主にあって必ず出来るのです。献金の仕方は、➀週の初めの日にささげます。それは主の日の日曜日に神にささげるということです。自分のお金を誰かのために、どう生かして活用するかというのが慈善行為であり義援金です。献金は、自分のお金をまず神にささげ、それを神によって生かして活用します。②献金は収入に応じて、自分に与えられた豊かさの中からささげます。神にささげるものは義務ではありません。③計画的にささげます。「私がそちらに行ってから献金を集める」のではなく、「手もとにそれをたくわえて」と、思いつきではないということです。復活という救いの完成に向かって、地上における教会で主のわざに励みましょう。