2020年11月22日 神の約束は「然り」のみ

…私がまだコリントへ行かないでいるのは、あなたがたに対する思いやりのためです。 Ⅱコリント1:23 コリント人への手紙第二講解説教№3 Ⅱコリント1章15-24節 パウロは、計画を変えた気まぐれ者だという兄姉の非難に対して自己弁護します。第一に、神の誠実と神の恵みによって行動していますと。次に、「神の真実にかけて」と言い、さらにキリストを持ち出して、この方には「しかりだけがある」と言い、さらには「保証として、御霊を」と、結局、三位一体の神をもって壮大な自己弁護を展開したのです。そこまでしたのは、パウロ自身の弁護ではなく、神の権威に対する弁護だったからです。第一の手紙で、コリントへ行く計画を告げた時、「主がお許しになるなら」と神の権威に基づくご計画に従いました。そのパウロを非難することは、神の権威に対してものを申すことになるのです。パウロはどんなに非難されても、ひるむことがないのは、神の真実さと、イエスキリストの確実さの上に立っているからです。キリストには「しかり」だけがあるとは、「それは必ずそうなる」と言われる方だからです。天地は滅びても、「わたしのことばは決して滅びることはない」と言われた方だからです。さらにパウロの行動を保証するものとしてご聖霊が確認の印として与えられています。真実な神、確実なキリスト、保証としての聖霊、これがパウロの行動基準です。そして彼がコリントへ行かなかった理由は「兄姉たちに対する思いやりのため」です。パウロがコリントに行けば、使徒としての権威を使うことで(行くこと自体)、彼らの信仰を支配してしまうことを避けるためです。兄姉たちが自らの信仰で堅く立つために、あえて行かなかったのです。(コリント)教会はパウロの下にはいません。キリストの支配の下にいます。第一の手紙のあと、パウロはコリントを訪問しています。その時に使徒としての権威によって支配したことで、自らの信仰で立たせることを阻害してしまった苦い経験があります。「悲しませることになるような訪問」(2:1)と自ら言って、それを「二度とくり返すまいと決心」しています。私たちも、相手のためにと思い、采配し、行動することがあります。しかし、それをストップさせる確かな行動基準を主から頂きましょう。